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田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に日野富子の家来たちに関連したコラムを執筆

 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「日野富子の家来たち」と題したコラムを執筆した。室町時代の古文書に、この時代らしい庶民の裁判記録がある。裁判の当事者が作成し、幕府に提出すると、裁判を行う奉行人が評議の記録として残し、政所の役人がまとめて記録し直した文書群「賦引付(くばりひきつけ)」である。分一銭を払って徳政令や徳政禁制を受けようとする声が伝わってくる。その中で注目した「商人九郎五郎吉次」は、守護大名一色家に貸した金を回収するため、幕府の下知(げち)がほしいと申請した。申請には、吉次自ら「上様御被官」と称し、日野富子(足利義政の正室)の家来であるという権威を使っての必死の訴えだった。応仁の乱により京都が大焼亡し、天皇・公家・寺社・武家邸から一般庶民の小屋に至るまで灰じんに帰し、庶民生活もほとんど回復しなかった。応仁の乱後の1478(文明10)年以降、「日野家被官」「赤松家被官」など被官を自称する人々が増加する。戦国時代には、近江では「被官百姓」も一般的になる。戦乱の時代の被支配者が自立して生きるための最後の手段が「被官」を自称することだったのでは、と結んでいる。

【2018年9月9日 京都新聞に掲載】

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