リレーエッセイ「研究者のつぶやき」

京都橘大学総合研究センターでは、本学の研究活動状況やトピックスなどを広く一般に公開するため、2017年5月より「リレーエッセイ 研究者のつぶやき」をスタートしました。
このリレーエッセイでは、執筆者が次回執筆者を指名する数珠つなぎで、学部・学科を越えた輪を広げていっています。
テーマ設定はなし。研究テーマに関わるトピックスや情報、最近気になることなど、何でも自由につぶやいています。
「研究の話は難しい」と思っているあなた、コーヒー片手に気軽に”研究者のつぶやき”を聞いてみませんか。

第63回(2022年3月)
「老後2000万円問題、覚えていますか?」

矢口 満(経済学科教授)

2019年6月にマスコミで大騒ぎされた「老後2000万円問題」を、みなさん覚えているだろうか。金融庁の金融審議会(厳密にはその傘下のワーキンググループ)が取りまとめた報告書に、老後資産に2,000万円必要と明記された問題である。

この報告書は、長期的な金融資産形成の必要性を提言することが目的であり、必要額2,000万円には、実は退職金や貯金等は勘案されていない(退職金が1,000万円もらえる人は、残る必要額は1,000万円となる)。

この報告書が大騒ぎされたのは、「2,000万円」という金額のインパクトに加えて、老後を公的年金のみに依存できない点をあからさまにしたからであった。金融審議会は年金制度を論じる場でないにもかかわらず、政治的に微妙な問題に触れたのである。具体的には、報告書の原案に「今後は、公的年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある。」と明記してしまった。その後、批判を浴びて、最終版は「(今後は)給付水準の調整が進められることとなっている。」というマイルドな表現に差し替えられたが、それでも金融担当大臣は政治的に報告書を受け取らなかった(ただし、報告書はワーキンググループの成果物として今日まで公表されている)。

怪我の功名というべきか、本件が大騒ぎされたおかげで、多額の老後準備が必要なことを大多数の国民が知るようになった。そして、この騒ぎが直接の理由ではないが、学習指導要領の改訂に伴い、高校では2022年度から家庭科の授業に、株式や投資信託での資産形成の視点が盛り込まれることとなった。金融関係者が待ち望んできた、長期的な資産形成を見据えた金融リテラシー教育の必修化である。

本学の学生達はこの「必修化」以前に高校を卒業しており、新しい家庭科の授業を受ける機会がない。金融分野担当の教員として何とかしてあげたいという想いもあり、2022年度開講の演習科目「プロジェクトマネジメントⅡ」では、金融リテラシー教育を題材にすることにした。これから、学生達が「老後2000万円問題」の意味を正しく捉えられるよう奮闘してみたい。

図表:「プロジェクトマネジメントⅡ」予定教材 ~ 65歳から先の収支バランス(夫婦モデル)

(資料)金融経済教育推進会議「金融リテラシーとライフデザイン」p.17

第62回(2022年3月)
「ドイツ、フランス、そして日本」

佐野 仁美(児童教育学科教授)

振り返ってみると、研究の原点には実体験がある。筆者は5歳からピアノをバイエル、ツェルニー、ソナチネ、ソナタ…と学習し、大学からそのまま進んだ大学院の修士論文では、ベートーヴェンを取り上げた。古典派のような形式のかっちりとした音楽に重きを置く、ドイツ音楽中心の教育は、当時オーソドックスなものだった。対して、《金色の魚》のようなタイトルを持つ音楽を中心とし、ドビュッシーやラヴェルに代表される近代フランスの音楽は、どこかふわふわしているように筆者には感じられて、正直ピンとこなかった。

ところが、その後も演奏を続けているうちに、突然ドビュッシーの音楽がしっくりきたのである。それは決してふわふわしたものではなく、エスプリに充ちていることがよくわかり、ドビュッシーの音楽に共感できるようになった。背景にはよき師との出会い、周りの人たちとの交流もあった。当時は音大卒でもフランス音楽など弾いたことがないという人は結構存在していて、筆者のようなケースが決してレアではない。そして、どうしてこのようなことが起こったのかを考察することが、2回目の大学院の研究テーマとなった。

明治以降、ドイツ音楽を中心に移入していた日本で、新しいフランス音楽に目を向けたのは、まず文学者、そして昭和初めにようやく増え始めた作曲家、なかでも「日本的なもの」をどのように創作に生かそうかと試行錯誤していた民族派の作曲家であった。「日本的なもの」とは人によって様々であるが、たとえばラドレミソのような5音で構成された日本音階を基にしたメロディをドレミファソラシのような7音でできた西洋の音楽にあわせるのが、当時の作曲家の抱える問題だった。つまり、「日本人の創作」を志向する作曲家にとって、「日本的なもの」というのは、民謡のように、ミファラシドの都節音階や、上述のラドレミソの民謡音階でできたメロディで表現されることが多い。しかし、もともと日本の伝統音楽は和音を持たないので、メロディに西洋音楽の理論に則ったハーモニー(和声)をつけようとすると、どうしても伝統音楽からは不自然と感じられる音の動きが含まれてしまう。この難しい問題にヒントを与えたのが、東南アジアの音楽など、長短調以外の音階を取り入れたドビュッシーの音楽だったのである。

その後、世間ではかなりマイナーな存在の戦前の邦人作曲家に筆者の関心は移り、決して一枚板ではない彼らの奮闘ぶりを明らかにしていきたいと考えている。これらに関連して、西洋音楽に対峙する初期の日本人女性音楽家の活動については、本学女性歴史文化研究所広報誌「CHRONOS(クロノス)」に「近代日本音楽史を彩る女性たち」を連載している。

このように、音楽にはその民族のもつ感性がよく表れていると思われるが、西洋文化を全面的に取り入れた日本において、西洋音楽と日本人の音感覚との間で揺れ動く創作活動上の問題は、現在にもつながっている。音楽教育に関わる職を得た筆者の研究は、「音楽は演奏するもの」と考えられがちであった日本で、後発の分野である創作について、どのように子どもたちが本来持っているはずの創造性を伸ばせるのかというテーマへと広がっていった。「みんなが自分の歌をつくって歌える」のが筆者の理想なのだが、それもやはり自身の体験からの問題意識に基づくものである。

予告:次回は経済学科の 矢口 満先生です。お楽しみに!

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