乱世のなかの文芸

人文・歴史・教育 ---------------------------- 2023-68 尾下 成敏 教授 乱世のなかの文芸 文学部歴史学科 ■研究業績等 【著書】 ・著書『『京都の中世史第6巻戦国乱世の都』』吉川弘文館(共著):2021/08 ・著書『『京都橘大学史料研究報告集第9集16世紀京鞠会の基礎的研究』』京都橘大学文学部歴史学科(単著):2020/10 ・著書『『愛知県史通史編3中世2・織豊』/「織田家の凋落と信雄・家康」、「戦国・織豊期の村落と農業・漁業」、「尾張・三河とキリスト教」、「戦国・織豊期の文芸」、「武家の生活文化」』愛知県(共著):2018/03 【論文】 ・学術論文「戦国時代の中央文人と富士一見」富士山学雄山閣(2号):20-26(単著):2022/03 ・学術論文「戦国織豊期飛鳥井家の破子鞠の会について」藝能史研究藝能史研究会(234号):1-16(単著):2021/07 ・学術論文「戦国期東海地方の文芸と武家領主―北伊勢・尾張・三河の事例を中心に―」研究論集歴史と文化(6号):51-70(単著):2020/07 日本の16世紀と17世紀初頭は、長い長い争乱の時代であり、一般的には、武士を主役に据えて、この時代が語られることが多いように思います。また、そのような状況から、彼らについて語る場合は、戦闘に関わる行動がクローズアップされることが多いように思います。しかし、そうした語り方は、16世紀および17世紀初頭の歴史像について、誤ったイメージをうみ出す恐れがあるのではないでしょうか。文と武に注目して、この時代の武士の活動を見ていくと、彼らのなかでも支配者の側に属するいわゆる領主階層は、その多くが武芸の稽古や戦闘のほか、文事(文芸活動)にも力を入れた人々であった可能性があると考えます(和歌や連歌のような古典を基盤とする文芸を嗜んだ事例は、実に目立つからです)。とするなら、そうした彼らの文芸活動の実態を復元せねばなりません。また戦国の争乱が最も激化する16世紀半ばと、日本列島の争乱が終息へ向かう16世紀末以降で、文芸活動のあり方にどのような違いがあるのかを追う必要があるでしょう。こうした取り組みは、誤った歴史像の生産や流布の防止に役立つはずです。 戦国時代の尾張国(愛知県西部)の歴史を見る上で、織田信秀は重要な人物です。信秀と言えば、有名な信長の父で、信長台頭の基盤を築いた人物として知られていますが、彼が文事に力を入れたことは、あまり知られてないように思います。具体的に言えば、信秀が和歌を嗜み、蹴鞠を愛好したことや、この時代に流行した連歌の愛好者である可能性が高いことを知るのは、日本史や国文学の研究者に、ほぼ限られるのではないでしょうか。私は以前、信秀・信長父子と和歌・蹴鞠・連歌との関わりを検討し、尾張の武士たちによる和歌と蹴鞠の受容が、同国内の諸勢力と東海地方の今川氏との関係に規定されていたことを明らかにしました(詳しくは、拙稿「戦国期の織田弾正忠家と和歌・蹴鞠・連歌」『織豊期研究』19号を参照)。これは政治過程の展開と、京都の公家文化受容の過程が結びつくことを示す事例ですが、こうした事例は他にもあり、今は、戦国・織豊期の政治過程と文芸史の展開過程との関連に注目しているところです。 和歌、連歌、蹴鞠、学問、武士