Interview

ドストエフスキーや太宰だけじゃない!
文学者の視点で見るとアニメーションや漫画、ゲームシナリオも素晴らしい教材です。

インタビュー

2020.05.15

今や、娯楽の域を超えて日本の文化の一つとして、世界的に知られている日本のアニメーション。なかでも宮崎駿氏の作品は、壮大な世界観と美しいビジュアルで世代を超えて愛され続けています。文学部日本語日本文学科の野村幸一郎先生は、宮崎作品をテーマとして文学者の視点で読み解いた著書を世に出して注目を集めています。野村先生に、文学者の視点から見た宮崎作品の魅力をはじめ、今、文学を学ぶことなどについてもインタビューしました。

文学部 日本語日本文学科 野村 幸一郎教授
<専門分野>
日本近代文学
<研究テーマ>
・ナショナリズムと文学
・日本のアニメーション
・近代日本のアジア認識

Q/野村先生は、森鷗外の研究に取り組んでおられるとうかがっていますが、
宮崎作品を題材にしたきっかけを教えてください。

2012年頃から、私のゼミで卒業研究の論文にアニメーションを取り上げる学生が現れはじめました。当初は、1人、2人という程度でしたが次第に増えて、今や半数を占めています。このような流れを踏まえて、あらためてアニメーションや漫画に向き合ってみると、それらの作品が「いかに生きるべきか」「私は何者なのか」という普遍的なテーマを扱っているということがわかりました。今、私は50代ですが、私が思春期の頃は、「漫画は子どものもの」という考え方が一般的でした。しかし、今の学生たちがそんな考え方をすることはありません。彼らは、アニメーションだけでなく漫画やゲームのストーリーを通じて、普遍的な悩みに対峙し、答えを得ようとしているのです。そして、彼らの心をつかむ作品は、たしかに普遍的な、深いテーマを扱っています。彼らはそれを直感的に感じ取っているんです。また、異なる興味をもった学生が交わること体験を通じで、互いに知らなかった世界に触れることができます。これはとても貴重な体験だと思っています。

次に、なぜ私が研究テーマとして宮崎駿氏を選んだのかですが、宮崎作品に接するたびに私は「凄み」のようなものを感じます。宮崎作品を語るとき、「自然を大切にしよう」「暴力はいけない」「皆で助け合おう」などのキーワードが使われることが多いように思います。たしかに、これらの要素が作品を形づくっているのも事実ですが、私がとても強く感じるのが宮崎氏の「本気度」です。この「本気度」が「凄み」として伝わってくるのです。

Q/宮崎作品に「凄み」があるのは、なぜだと考えておられますか?

宮崎氏は、4歳で終戦を迎えています。彼は、軍艦や戦車など兵器マニアで、戦争映画に胸を躍らせる少年でした。ところが思春期を迎えたあるとき、炎上し、沈没しつつある軍艦の上で砲を打っていた勇ましい男たちが、本当は生きたいと思っていたことや、犬死にを強要されていたということを知り驚愕(きょうがく)します。そして、とことん世界に絶望し、人間に絶望します。そこから宮崎氏の内部に「世界を少しでも良くするには?」という意識が芽生え、答えを探して、ありとあらゆるジャンルの本を読み始めます。宮崎氏が、どのような本を読み、何を考え、どの作品を生み出していったのかについては、私の著書『宮崎駿の地平/ナウシカからもののけ姫へ』(新典社、2018年)に、詳しく記しているので割愛しますが、すべての作品に「この世界を少しでも良くしたい」という祈りにも似た強い思いと、読書で培った深い思想が内包されていることは間違いありません。

宮崎作品はすべて、「戦争から受けた絶望という実体験」「読書による探求」「昇華としての創作」という三層構造になっており、この三層構造が宮崎作品を奥深いものにしています。言葉だけで「助け合おう」「戦争はいけない」「自然を大切に」といっているのではなく、実体験が根底にあり読書からインスピレーションを得て、作品に結晶化されている。宮崎氏の絶望が深いからこそ「世界とは何か」「人間とは何か」という難問に本気で悩み、答えを探し続けているわけで、その姿勢が凄みとして見ている者に伝わってくるのだと思います。宮崎作品の中でも特に、私が凄みを感じるのは「風の谷のナウシカ」ですね。

野村先生の著書『宮崎駿の地平/ナウシカからもののけ姫へ』(新典社、2018年)と野村幸一郎編『宮崎駿が描いた少女たち』(新典社、2018年)
野村先生の著書『宮崎駿の地平/ナウシカからもののけ姫へ』(新典社、2018年)と野村幸一郎編『宮崎駿が描いた少女たち』(新典社、2018年)

Q/宮崎氏は、「風の谷のナウシカ」を通じて、何を伝えようとしているのでしょうか?

この物語は、栄華を極めた物質文明が世界最終戦争で壊滅し、地表のほとんどが汚染された未来の世界が舞台です。そこには巨大化した菌類の森「腐海」が広がり、森がはき出す毒ガスで人類は住む場所を徐々に失いつつあるという設定になっています。

ここから自然対人類という構図が見えてくるのですが、物語が進むうちに、人間と人間の対立という対立図式も現れてきます。この構図を踏まえて「風の谷のナウシカ」を見直すと、「暴力とは何か」を考えざるをえない。暴力とは、個人間の暴力、たとえば喧嘩だけに限定できるものではありません。国対国の戦争だけに限定できません。自然破壊も暴力の一変調です。

では「暴力を生み出す母胎」とはそもそも何なのか。主人公のナウシカは、風の谷の一員でありながらほかの共同体の住人、アスベル、そしてさまざまな生物たちとも精神的な絆を築いています。ナウシカは、どこにも属さない私を生きようする存在であることがわかります。ナウシカは、すべての生命に対して平等に振る舞い、「メーヴェというグライダーを乗りこなして、どこにでも飛んで行きます。どこにも属さず、自由にどこにでも飛んで行ける。結果、人間、植物、虫、世界に存在するあらゆる生命を等価な存在として眺める視点を獲得しています。これは人間を超えた神の視点です。宮崎氏は神の視点で世界を見て、暴力を否定し、生きるとは? 世界はどうあるべきか? について、私たちに問いかけているのです。

Q/野村先生の解説で、ナウシカというキャラクターに込められた作者の思いを感じ、改めて宮崎作品を観賞したいと思いました。では、小説以外のジャンルで普遍的なテーマを扱った作品を教えてください。

映画であれば、チャップリンのすべての作品は、絶望をとことんみつめた上で「やっぱり愛は素晴らしいよ」と私たちに伝えてくれています。また、是枝裕和監督の一連の作品は、家族のあり方を考えさせてくれる優れた作品。最近では「万引き家族」が話題になりました。

アニメーションでは「魔法少女まどか☆マギカ」「バケモノの子」「天気の子」も素晴らしい。ポップスでは米津玄師さんの歌は、聴くたびに発見があるし、凄みを感じます。普遍的なテーマを扱ったバックボーンがある作品は、聴くたび、観るたびに新しい発見があるため、飽きることがないですよね。

Q/文学を学ぶ意味や意義について教えてください。

実学の時代とは、「文学を学んで生活できるの?」「仕事に直結するの?」という問いが、あちこちでささやかれる時代です。文学はすぐに役には立たないかもしれないけれど、何年経っても色あせません。生きているといろいろなことが起きます。そんな人生を生き抜くには、しっかりとした心の支えが必要です。それは思想や哲学、芸術からしか学べないのです。とはいえ実学を否定しているのではありません。実学かそれ以外か、ではなく、どちらも大切にすべきなのですが、あまりにも現代の教育が実学に頼りすぎていることが気になります。

Q/最後に、高校生に向けてメッセージをお願いします。

宮崎作品をこよなく愛する私から、高校生の皆さんに問題を出したいと思います。1問目は「魔女の宅急便」です。主人公キキは、1度、魔法が使えなくなりますが、再度、使えるようになります。なぜ、1度、魔法が使えなくなって、また、使えるようになったのでしょうか?

2問目は「千と千尋の神隠し」です。ラストシーンで、湯婆婆が主人公の千尋に「この豚の中からお父さんとお母さんを探しなさい」といいます。すると千尋は「ここにはいない」と答えます。このセリフは何を意味しており、作者はこのシーンをなぜつくったと思いますか?

この2問を自分なりに考えてみてください。答えを探しながら、この2つの作品を見直してみてください。見終わった後は、世界が違って見えるかもしれません。そして「答えが知りたい」「意見を交わしたい」と感じたら、京都橘大学に来てください。待っています。

ここがDISCOVERY!

・文学部日本語日本文学科には、アニメーションを卒業論文のテーマにする学生がいる!
・日本のアニメーション、漫画、ゲームシナリオ、ポップスには普遍的なテーマを扱った優れた作品がある!
・日本のアニメーション界を代表する宮崎駿氏の作品は「実体験」「読書」「創作」の三層構造になっていて奥が深い!
・文学は色あせない。人生を生き抜く上での「支え」=「物の見方」を教えてくれる!

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