Interview

自分の経験・生き方を通じて
伝えることができる教師をめざしたい。
JICA海外協力隊 田上 史也さん(京都橘大学2019年3月卒業)

インタビュー

2020.06.17

自分の経験・生き方を通じて伝えることができる教師をめざしたい。JICA海外協力隊田上史也さん
(2019年3月卒業)

日本国内はもちろん、海外でも活躍している京都橘大学の卒業生。今回は、2019年3月に文学部歴史学科を卒業した田上史也さんにインタビューをしました。大学で中学校、高等学校の教員資格を取得した田上さんは、大学卒業後にJICA(独立行政法人国際協力機構)が派遣するJICA海外協力隊(青年海外協力隊)の一員としてネパールに渡りました。JICA海外協力隊に参加した経緯をはじめ、ネパールでの活動内容や今後のことなどを伺いました。

田上 史也 さん
2019年3月文学部歴史学科卒業。野球一筋の高校時代を経て、京都橘大学に進学。教員資格(中学校教諭一種免許状(社会)、高等学校教諭一種免許状(地歴)(公民))を取得し、卒業後、JICA海外協力隊としてネパールでボランティア活動に取り組む。現在は新型コロナウイルス感染症拡大のために一時避難帰国中(※)。
(※)この記事は、2020年5月、日本に一時帰国中の田上さんにオンラインでインタビューしたものです。

Q/京都橘大学に進学することを決めたきっかけを教えてください。

高校時代から野球と同じくらい歴史が好きでした。高校3年生で野球部を引退したときに、「3年間野球に打ち込み、思い残すことはない。」と感じ、大学では野球と同じくらい好きな歴史を学びたいと思いました。大学について調べた結果、京都橘大学の文学部歴史学科に出会い、深く歴史を学ぶならここしかないと決めました。

Q/入学当初から教師をめざしておられたのでしょうか?

教師をめざしたのは、1回生のときに東日本大震災の復興ボランティアに参加したことがきっかけです。東日本大震災は、私が中学生のときに起こりました。当時テレビで現地の様子を見て、「大学生になったら、震災復興のボランティアに行く」と決意しました。

入学後、大学で東北での復興ボランティアを募集していることを知り、迷うことなく参加を決めました。行き先は宮城県東松島市で、活動内容は小学校での学習支援でした。ボランティアで現地を訪れたときは震災から約4年が経っていましたが、市街には瓦礫(がれき)がたくさん残っていて、校舎はプレハブでした。そんな状況でも子どもたちは明るくて前向きに勉強に取り組んでいて、その姿に感動しましたし、来て良かったと思いました。

ある日、「夢について語ろう」というテーマの授業がありました。その授業では子どもたちに夢を発表してもらうのですが、私は衝撃を受けました。なぜなら、いつも明るくて元気な子どもたちの語った夢が「毎朝、無事に目が覚めますように」「毎日、ご飯が三食、食べられますように」「家族が平穏無事に暮らせますように」という内容だったのです。子どもたちの発言を聞いた私の心に、「夢って、そういうことなのか? 何か違う」という想いが湧き上がってきました。子どもたちはいつも明るくて元気に見えるけれど、震災で深く傷ついているということを改めて知りました。子どもたちが深く傷ついているのは当然です。ある日突然、地震と津波で家を失い、家族や友達を亡くすというような、とても辛い体験をしているのですから。そんなに簡単に解決するはずはないのです。そして、傷ついた子どもたちによりそうために、今、私にできることは何かと考えました。教師になって東北に行き、子どもたちが成長し、夢を描き、その夢を叶えるための力になりたいと心に決めたのです。

東北でのボランティア活動から帰った後、理想の教師像を考えました。子どもたちに「世界は広い」「人と人のつながりが何よりも大切」ということを伝えたい。私の経験や生き方を通じて、子どもたちに夢を描き、希望をもつことを伝えられる教師をめざすと決意しました。約1週間のボランティア活動でしたが、私の人生の転機となった体験です。それ以降、在学中は毎年、東松島市でのボランティア活動を続けました。

3回生のときに参加した東日本大震災ボランティアの様子
小学生の子どもたちにエールを送る田上さん
子どもたちからのプレゼント

Q/震災復興のボランティア活動で教師になることを決意された田上さんが、卒業後、JICA海外協力隊としてネパールに行き、ボランティア活動に取り組まれたのはなぜですか?

自分が考える理想の教師には、4年間を大学で過ごし、資格を取得したからなれるというものではありません。私自身が海外に飛び出して、さまざまな経験をしなければと考えました。そんなとき大学の掲示板で、グローバル人材育成プログラムの「ベトナムの経済・社会・文化」という研修企画を知りました。研修では、ベトナムの企業訪問や日本語学校の見学、現地学生との交流などを行いました。

その後、カンボジアの小学校で運動会を開催する「カンボジア運動会プロジェクト」に参加してカンボジアにも行きました。このプロジェクトは日本の運動会や体育の指導法をカンボジアの学校に紹介し、現地の教師や児童たちが、近い将来、自らの手で運動会やそのほかの教育活動を行えるよう支援することです。このプロジェクトには全国の大学が参加しました。京都橘大学では児童教育学科が参加したのですが、歴史学科の私も参加することができました。京都橘大学は学部学科を越えて参加できるのです。

「カンボジア運動会プロジェクト」体育の授業の指導風景
赤白帽子でチームを分け、しっぽ取りを指導した

実は、JICA海外協力隊に参加したのは、カンボジアに行ったことがきっかけです。カンボジアの小学校には黒板やノートもありませんでした。でもこれが発展途上国の現状と知り、衝撃を受けました。そんな中、懸命に勉強する子どもたちと接して、発展途上国に関係した仕事をしようと思いました。この経験が、私の理想とする教師像に近づけてくれると感じたのです。そして、東北の子どもたちに、世界は広いことを伝えたいという気持ちで、ベトナムやカンボジアでの活動の経験について、手紙を送ったり、毎年ボランティアで訪れた際には伝えたりしていました。

カンボジアの子どもたちに図工を指導

帰国後は、発展途上国に関する仕事を探し、JICA海外協力隊のことを知りました。JICA海外協力隊は、貧困など解決すべき課題を抱えた国に、専門技術をもった人を派遣する団体です。派遣先は北米・中南米やアジア、アフリカなどですが、その中からネパールを選びました。その理由は、2015年4月25日にネパール大地震が起き、その震災で被災した子どもたちが暮らす孤児院で情操教育を行う人材を募集していたからです。そもそも教師になると決めたのは、東日本大震災の復興ボランティアがきっかけですから、ふたつの地の「地震と復興」というキーワードが私の中でつながったと感じました。

Q/ときとして人生にはそのような出会いがあるものですよね。JICAでは、海外の被災地での活動を行うために、事前研修などはあるのでしょうか。また、ネパールに派遣されたのはいつですか?

国内の研修施設で70日間、心に傷を負った子どもへの対応を学ぶ研修とネパール語の研修を受けました。この語学研修で、日常会話はある程度できるようになっていました。「たった70日間で?」と思うかもしれませんが、震災で被災した子どもたちに情操教育をするために派遣されるという責任感があったので、とにかく必死でした。

70日間の研修を支え合った
ネパール語クラスのメンバーとの一枚

ネパールへは2019年7月24日に日本を出発し、25日に到着しました。ネパールに派遣された日本人ボランティアは11人で、現地に到着するとネパール各地に1人ずつ派遣されます。私は、ゴルカという町にあるスリ・バル・マンディル学校の敷地内にある孤児院でのボランティアとして派遣されました。

Q/ゴルカはどのような町ですか? また、田上さんが現地に到着したときの様子も教えてください。

ネパールの首都カトマンズから約77km北西に位置する町で、ネパール大地震の震源地です。ゴルカは、昔、首都があった地域で、日本でいうと京都や奈良のようなイメージです。そのため古都の風情を今に伝える史跡が多く、ヨーロッパからの観光客がたくさんやって来ます。史跡の中に2つの王宮があるのですが、1つは平地に、もう1つは町を見渡すことができる山頂にあります。今回の震災で、山頂にある王宮が倒壊してしまいました。私が現地に到着したときは地震発生から4年が経過していて、震災後にWHOやユニセフの支援があり、震災後の混乱が続いているということはありませんでしたが、半壊のままで放置されている住宅はたくさんありました。

ゴルカの町の風景
奥にはヒマラヤ山脈がみえる

Q/田上さんが派遣された孤児院は、どのような所ですか? また、情操教育とは、どのようなことを行うのですか?

孤児院は、主に地震で親を失った子どもと、ストリートチルドレンだった子どもや育児放棄で保護された子どもたちが暮らしています。ここで暮らしている子どもは22人で、年齢は6歳から20歳です。ネパールは貧困家庭が多く、学校に行けない子どもがたくさんいます。やっと学校に行けるようになったときには年齢が上がっていることも多いのです。そのため、日本の小学校1年生に該当するクラスに10歳の子どもがいるのも珍しくありません。

情操教育とは心の教育のことです。孤児院の子どもたちは、育った環境が要因となって人や物を大切にする気持ちが育っていなかったり、情緒不安定に陥っていることもあります。社会で自立した生活ができるようになるには情操教育が必要ということで、音楽や工作、バスケットボールなどのスポーツに取り組んでいます。さらに道徳教育や読み書き計算などの支援や日本の文化の紹介などもしています。

孤児院の子どもたちとの餅つき大会の様子

Q/これまでの活動の中で、特に印象に残ったできごとを教えてください。

孤児院で活動を始めてから、現地での活動を日本に伝えるために、「ネパール通信」を制作して、派遣前に研修を受けた京都市山科青少年活動センターに送っていました。同時に、孤児院の子どもたちをはじめ、敷地内にある学校の生徒にネパールで自分が体験して驚いたことや日本の現状、文化などを紹介する「JAPAN LIFE」をネパール語で綴ったプリントを制作して、敷地内の学校の柱に貼っていました。

ある日、その誌面の下部が焦げているのを発見しました。驚いたのですが、あまり気に留めずにいました。翌日、見ると焦げた部分が広がっていて、「誰かが故意に少しずつ燃やしている」と気づきました。その翌日も焦げていたので思いあまって校長先生に相談し、誰がやったのかを調べました。やっていたのは孤児院の中でも、おとなしくて1人でいることの多い子どもでした。なぜ、そんなことをするのかがわからないため、改めて児童心理学を勉強しました。すると、そのような行為は「もっとかまってほしい」という寂しさの現れということがわかりました。

「言葉でいえば良いじゃないか」というのは大人の考えです。心に傷を負っているのであれば、素直に表現するのが難しいこともあるのだと思い、子どもの声なきSOSを受け留められる教師になりたいと思いました。そしてその日から、その子のことを気にかけるようにしました。このような出来事はたくさんあり、その1つひとつが私を成長させてくれると実感しました。

Q/今年3月、新型コロナウイルスの感染拡大をうけて、一時避難帰国をされています。今の心境や今後のことについて、考えておられることを教えてください。

一時避難帰国になる少し前に、YouTuberとして海外を拠点に活動している方が孤児院に来てくれました。彼の動画に出演して孤児院を紹介し、洋服や文具がなくて困っていることを伝えたところ、私のFacebookアカウントを通じて洋服や学習用具を支援したいといってくださる方たちの声が沢山ありました。支援をしていただき、手元に集まった際にイベントを開催し、それらをプレゼントする企画をいろいろ考えていたのですが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で一時避難帰国になってしまい、支援や企画の計画を中断せざるを得ない状況にあります。

赴任は2021年7月までなのですが、今はいつネパールに戻れるのかも分かりません。こればかりはどうしようもないので、私のFacebookアカウントを通してネパールの現状やより多くの人にネパールを知ってもらうために、インタビューやオンライントークライブ等にも積極的に参加しています。孤児院の子どもたちや同僚、友人からFacebookのMessengerを通して「いつ帰れるの?」と連絡があるので、寂しい気持ちになります。

●田上さんが出演した「BUCKET LIST」さんのYouTube動画

●田上さんのFacebookアカウント
https://www.facebook.com/people/Fumiya-Tagami/100004219416308

Q/田上さんにとって、ネパールが第二のふるさとになっている感じですね。では、ネパールで活動する上で、京都橘大学で学んだことが活かされていると感じるのはどのようなときですか?

1回生で東北に復興ボランティアに行き教師になるという目標がもつことができました。そして、理想の教師になるために国内外のボランティアへ参加し、沢山の人に出逢い、経験したことがJICA海外協力隊の一員としてネパールでの活動につながっています。これらは京都橘大学に行っていなければ実現できていない事だと思います。そして、改めて大学生活を振り返ってみて、積極的に行動することが自分の可能性を広げることにつながることを体験的に学んだ4年間だったと思います。高校時代の先生に、私の現状を伝えると「何があったの?!」と驚かれます。そのたびに「大学で、自分のやりたいことに素直に取り組んだらこうなりました」と答えています。そして、京都橘大学を選んで良かったと思います。

Q/最後に、京都橘大学に興味をもっている高校生にメッセージをお願いします。

京都橘大学は、学部学科を越えて活動に参加できる環境があります。そのおかげで、歴史学科に在籍していた私が児童教育学科主催のカンボジアのボランティア活動に参加したわけですから。大学では、学部学科を越えて参加できる、さまざまな情報が発信されていて本当に役に立ちます。参加するかしないかは自分が決めることですが、少しでも興味があったら参加してみるべきです。そこから「次はこれ」と次の目標が見えてくるはずです。京都橘大学は、学生のやる気に応えてくれる大学です。この環境を100%活かしてください。

<ここがDISCOVERY!>

・田上さんは在学中に参加した東日本震災復興ボランティア、カンボジアでのボランティア活動などを経てさまざまな教育現場で活動する中で、子どもたちの夢を応援する教師になりたいと決意した! 
・田上さんにとっての大学生活は「積極的に行動することが自分の可能性を広げることにつながる」と体験的に学んだ4年間だった!
・京都橘大学には、学部学科を超えてさまざまな取り組みに参加できる環境がある。

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