Interview

目下の目標は日本一に輝くこと!
シュライカー大阪でチームを牽引する
Fリーガー 堀内 迪弥さん(京都橘大学2015年3月卒業)

インタビュー

2020.10.28

いつの時代でも、スポーツに親しんでいる人にとってプロ選手は憧れの存在ではないでしょうか。京都橘大学OBの堀内迪弥さんは、フットサルのプロ選手(Fリーガー)として活躍し、フットサル人気の向上と活性化に貢献しています。そんな堀内さんに、Fリーガーとしての歩みをはじめ、活躍するための努力と工夫や今後の目標、京都橘大学で学んだことが今、どのように活かされているのかなどについてインタビューしました。

堀内 迪弥(みちや) さん
シュライカー大阪所属。FP(フィールドプレーヤー)。2015年3月、京都橘大学現代ビジネス学部現代マネジメント学科救急救命コース(現・健康科学部救急救命学科)卒業。
大学時代に始めたフットサルで実力を発揮し、社会人チームからプロチーム シュライカー大阪へ。同チームの育成コースで研鑽を重ね、大学卒業と同時にトップチームに昇格。2016年10月、ヴォスクオーレ仙台へ移籍。2017年にU-25 フットサル日本代表に選出される。Fリーグ2018-19シーズンに25得点を記録し、日本人最多得点選手となる。同シーズン、日本代表として国際Aマッチに出場。2019年12月、シュライカー大阪へ移籍。背番号は妻の名前にちなんで「7」。
(※)この記事は、2020年9月にオンラインでインタビューしたものです。

Q/堀内さんが、京都橘大学に進学した理由を教えてください。

 サッカーは、友達に誘われて小学2年生のときから始めていて、ポジションはフォワード。ゴールを決めて得点するのがおもしろくて、とことんのめり込んでいました。中学、高校でもサッカー一筋で頑張っていたのですが、高校最後の大切な試合に負け、出場できなくなってしまい限界を感じました。サッカー選手を諦めたときに心に浮かんだのは「じゃあ、将来、何をめざすのか」ということでした。そのとき、ふと思い出したのが、小学生のときに行った、職業体験ができる「わたしのしごと館(現在は閉館)」で、消防士の仕事を疑似体験して「消防士ってカッコ良いなぁ」と感激したことでした。

それから、消防士になる方法を調べたところ、消防士への道が拓き、救急救命士国家資格が取得できる京都橘大学のことを知りました。大学進学を選んだのは、社会に出るまでの4年間は、とても貴重な時間なのではないかと直感で感じたから。それに中高時代とは違う大学の空気を吸ってみたいという気持ちもあり、両親も大学進学を勧めてくれたので京都橘大学に進学を決めました。

結果的には消防士になっていないのですが、救急救命士国家資格を取得し、大学を卒業しました。勉強とフットサルと、好きなことに没頭できた大学での4年間が、僕をFリーガーへの道に導いてくれたように思っています。

Q/フットサルを始めたきっかけはいつですか?

大学入学後、高校時代の先輩からフットサルの社会人チームに誘っていただいたのがきっかけです。フットサルは初めてでしたが、足でボールを扱う技術はサッカーで培っていたため、違和感なくプレーできました。しかもフットサルは僕に向いていると感じるようになり、だんだんおもしろくなってきました。実は、フットサルの社会人チームに誘われたのと同時に、母校である草津東高校のOBで結成した社会人チームにも誘われてプレーしていたのですが、「フットサルに集中する」と決心したときにサッカーチームは辞めました。

Q/フットサルが、ご自身に向いていると感じたのはなぜですか?

フットサルのコートは、サッカーに比べると狭いため、ゲームの展開が速いのが僕の性格に合っていると思います。また、サッカーよりもボールに触れる時間が多いのでプレーをしていて熱が入る。これも僕の性格に合っているように思います。サッカーで習得した技術がすべて活かせるのも魅力と感じました。

Q/Fリーガーになりたいと思ったのはいつ頃ですか? また、堀内さんが歩んだプロ選手への道のりを教えてください。

「フットサルに集中する」と決めたのは、1回生の終わり頃です。1年間社会人チームと学生生活を両立していましたが、もう一度、自分が続けてきたサッカーで夢を追いたいという気持ちが強くなり、同じフットボールであるフットサルでプロをめざしてみようと思い、シュライカー大阪のホームページからセレクションを申し込みました。セレクションを受けてみたところ合格し、育成コースに所属しました。このとき「頑張ればFリーガーになれるのではないか」と考え始めました。育成コースで練習を積み、大学を卒業する2015年にトップチームに昇格できたことで、念願のFリーガーになれました。

育成コース時代の堀内さん(18番)

Q/Fリーガーになっても、結果を出し続けるのはとても難しいことだと思います。結果を出し続ける努力や工夫について教えてください。

Fリーガーに限らず、プロ選手は、どんなときでも結果を出さなければなりません。結果を出すためには、試合に出場しなければいけないのですが、僕が入った頃のシュライカー大阪は、国内トップクラスにランキングされるほどの強豪チームで、僕が試合に出場するのは至難の業でした。

力をつけるために、全体トレーニングに加えて自主トレにも力を入れて、下部組織の練習に参加するなど努力していたのですが出場の機会に恵まれず、このままでは結果を出すのは不可能だと思いました。そこで、ヴォスクオーレ仙台へ移籍を考えました。当時のヴォスクオーレ仙台は、伸びしろのあるチームで、僕が試合に出場するチャンスがあると考えました。「僕がチームを引っ張って勝つんだ」と考えることで、僕自身のモチベーションも高く保てると思いました。この決断が功を奏し、2016年にヴォスクオーレ仙台へ移籍した後、試合に出場できるようになり、2017年にはU-25 日本代表選手に選ばれました。さらに、Fリーグ2018-19シーズンに25得点を記録して日本人最多得点選手になり、日本代表にも選出され、国際Aマッチに出場しました。

自分がプロ選手として力を発揮するために技術を高める努力をするのは当たり前のことですが、選手として存在感を発揮できるのはどのチームなのか。どうすればモチベーションを高く保つことができるのかを考えて実行することも結果を出すひとつだと思います。

Q/技術を高めるためにトレーニングに励むことと、力を発揮できる場所を探すことが大切であることがわかりました。では、Fリーガーであり続けることに迷ったことはなかったのでしょうか?

ずっと迷っていました。迷いがなくなったのは、ヴォスクオーレ仙台で結果が出始めた頃です。ヴォスクオーレ仙台へ移籍するまでは結果を出すことができない日々が続いていたため、辛かったです。迷いが生じる要因として、結果を出すまではアルバイトをしなければ生活ができないという現実がありました。シュライカー大阪は、午前中に練習をして、夕方からはフットサルスクールで教えることで収入を得ていましたが、ヴォスクオーレ仙台では、チームのスポンサー企業が経営するホテルの裏方のアルバイトをしながらトレーニングに取り組んでいました。U-25日本代表選手に選ばれた後は状況が変わり、アルバイトをする必要はなくなりましたが、25歳までに結果が出なければ消防士をもう一度めざすことも視野に入れていました。消防士になったほうが生活が安定するという考えが頭をよぎることも多かったというのが正直なところです。ですから仙台への移籍は、僕にとっては最後の賭けだったのです。気合いを入れるために、心のなかで「やったるで!」と何度も繰り返していたことを覚えています。

Q/プロスポーツの世界は華やかなだけに、選手はさまざまな努力をしているのですね。では、京都橘大学で学んだことや経験が、今、どのように役に立っていると思いますか?

Fリーガーをめざしながら、大学での学びや救急救命士の国家資格を取得するための試験勉強を両立させることができたことは、僕にとって大きな成功体験でした。Fリーガーになるのも、国家試験に合格するのも、決して簡単なことではありません。学科で「全員合格」という目標を掲げて、皆で勉強して励まし合い、助け合って目標に向かって一丸となりました。両立が辛い時期もありましたが、そんなときは「全員合格をめざしているのに僕が不合格になったら申し訳ない」と、自分自身を奮い立たせました。それは、きっと僕だけではなくて、皆、同じだったのではないでしょうか。皆で頑張ることが一人の人間に力を与えるということを体験しましたし、この成功体験が今でも心の支えになっています。

Q/大学での成功体験が心の支えになっていたのですね。では、堀内さんにとって京都橘大学は、どんな場所といえますか?

僕にとって京都橘大学は、とにかく楽しい場所でした。先生は、いつもさり気なく気遣ってくださっていたし、友人とも良い距離感でつながっていて、自由で何にも縛られない感じがありました。勉強はもちろん、学外のサッカーチームで活動することもできるし、部活やサークル活動も自分のペースで何でもできる環境がある。でも、何でもOKというのではなく、「やるときはやる」という学科の雰囲気が根付いているのが良いところだと思います。

また、学食が美味しかったのもうれしかったです。お腹が空く年ごろですから、友人と学食でご飯を食べながらいろいろな話をしたり、本当に楽しい4年間でした。今、振り返ってみると、4年間という時間の中で人生を考えるというのは大切なことであり、とてもいい時間だなと思います。

卒業後に国家資格(救急救命士)を取得した状態でFリーガーになるという目標に向かって日々を過ごしました。悩んだり苦しんだりする事もありましたが、諦めずに努力したお陰で、国家試験に合格し、卒業後に念願のFリーガーになる事が出来ました。

Q/最後に、Fリーガーとしての今後の目標をお願いします。

今年はコロナ禍の影響で、Fリーグ2020-2021の開幕が本来6月だったのが9月になりました(2020年9月4日取材)。いつもと違う環境ではありますが、チームの目標はF1リーグ優勝。個人の目標は得点王を獲得すること。選手として得点王やMVPなどのタイトルを獲得してベスト5に選ばれて、世界で戦い続けられる選手になりたいです。そして、フットサルの知名度を高め、ファンを増やしたいと思っています。京都橘大学での4年間とフットサルを通じて、全力でやればそれに相応しい結果が出ることを学びました。この体験を糧に目標に向かって頑張ります。

是非、一度僕の試合を観に来て下さい! 応援していただけるように頑張ります!

<ここがDISCOVERY!>

・勉強や好きなことに没頭できる京都橘大学での4年間が、堀内さんのFリーガーとしての道を切り拓いた!
・皆で頑張ることが、個人に力を与えることを京都橘大学の学びの中で知った!
・救急救命学科には「やるときはやる」という良い雰囲気がある!
・救急救命学科には、救急救命士国家資格試験や公務員採用試験合格のための学科独自の支援プログラムがある!

Relative