Special

#震災特集
文化財を守ることは、地域社会や人々の想いをまもること。
幅広い視野を育む学びを通して日本の未来を築く人材の育成を!

特 集

2021.03.11

阪神・淡路大震災や東日本大震災などの大災害時に、文化財を守るための新たな制度の確立や法改正の実現に尽力した経歴を持つ、文学部歴史遺産学科の村上裕道先生。文化財保護のプロフェッショナルとして培った経験を活かし、現在、地域の歴史や文化を守り、次世代へ受け継ぐためのさまざまな視点やノウハウを学生に教えています。京都ならではの生きたフィールドワークをベースにした学びをはじめ、新たな世代を担う人材育成に込めた願いなど、さまざまな想いについてインタビューしました。

文学部 歴史遺産学科 村上 裕道 教授
<専門分野>
文化財保護政策/文化財防災/文化財修理技術
<研究テーマ>
・文化財の保存・活用の実践 
「過疎地に所在する文化財を修復し、地域の人による活用体制を立上げ、地域の資産として活かす、作例の実践」

Q/村上先生は大学生時代、建築工学を専攻されていたと伺っていますが、文化財の保護に取り組むようになったきっかけを教えてください。

私が北海道大学に進学したのは1970年代初頭。この頃、北海道小樽市では、小樽運河を埋め立てて道路にする都市計画が動いており、市民の間では、これに反対する保存運動が起こり始めていた時でした。大学で近代建築史を学んでいた私にとっても興味深く、研究室の仲間たちと一緒に保存運動に参加したのがそもそもの始まりでした。その後、4回生の時には、研究テーマとして函館の明治期から大正期の町家を調べました。数十棟について、図面をはじめ基礎資料の作成に取り組みました。

こうした歴史的建造物の保存活動を通して感じていたのが、地方が発展していくためには歴史的な資産や文化的な資産を大切に守り、それらを土台にした事業や雇用を生み出していくことが不可欠だという想いでした。日本は長い間、経済も文化も東京一極集中のもと、新しい物事の創造はすべて東京で起こり、地方との格差は広がるばかりでした。それを解消するためには、東京とは違うベクトルとして地方固有の財産である歴史や伝統文化を活かすことが資本力に負けない産業になるのではと考えておりました。

そのための活動を今後もずっと続けていきたい……そう考えるようになりました。

そこで、就職先に選んだのが、国宝や重要文化財など、歴史的建造物の保存修理のための設計・施工監理を一手に担う、公益財団法人 文化財建造物保存技術協会です。入社後は日本各地のさまざまな現場で働きながら、専門技術者としての知識やスキルを身につけていきました。

Q/1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災では、どのような取り組みをされたのですか?

ちょうど東京本部の勤務から生まれ故郷の兵庫県教育委員会に転勤し、文化財課に在籍していた時のことでした。日本で初めて大都市直下を震源とする阪神・淡路大震災が発生しました。わずか10数秒の激震で約9.9兆円の資産と6,434人(2021年1月現在、災害関連死も含む)もの尊い命が失われるという未曾有の大地震でした。すぐに文化財の調査・復旧に乗り出しましたが、問題や課題の多さに愕然としたのを覚えています。

一番問題になったのが、国宝や重要文化財以外の、歴史的・文化的価値を有する地域の資産の取り扱いでした。それまで「文化財」といえば国宝・重要文化財(地方公共団体の指定も含む)などの指定文化財をさしており、それ以外は保護の対象にはなっていなかったのです。けれども、立派な国宝が地域の歴史や個性を示す資産などが消えてしまったところにぽつんと建っていても、それって本当にその建造物の歴史的意義を理解できる状況なのでしょうか? 長い歴史の中で受け継がれている建造物には、地域に暮らす人たちの想いや生活が息づいていたはず。それらを無くして本当の復興といえるのだろうかと、大きな疑念を抱きました。

また、いざ建て直そうとした時に、今度は法律が「壁」になりました。例えば神戸市灘区・東灘区には約300棟もの酒蔵があったのですが、建築基準法が求める建物強度の不足の問題から再建を断念したものが数多くありました。現存しているのはわずか2・3棟となってしまいました。時代により建物に求める安全強度は変わります。不断の見直しをしていなかった結果ともいえるでしょう。人命の大切さと文化財価値の保存について、安全性の再評価と保存理論の再統合を考えさせられました。さらに、中山手教会堂など、神戸のキリスト教の歴史を示す施設も、未指定でしたので即座に支援することが難しかったのを覚えています。ご存じのとおり、宗教施設への公金の使用はできません。憲法に定められているからです。

こうしたさまざまな問題・課題を打開するためには、まず地域に存在する歴史的・文化的資産を日本で初めて産官学民が協力して救出する『文化財レスキュー』の体制を整えました。そして、指定文化財とは別に、地域活動や人々の暮らしのなかで使いながら守り残していく、指定制度を補完する『登録文化財制度』を確立。それと同時に、歴史文化遺産の保存・修復をマネジメントする人材の必要性を感じ、復興活動が一段落した2000年より、ヘリテージマネージャー育成事業もスタートさせました。
※ヘリテージマネージャーとは、地域社会における歴史文化遺産のあり方を見据え、その保全と活用を推進するため研鑚をつみ、地域遺産の保全活用に貢献する活動を行う人のこと。

Q/2011年3月11日に発生した東日本大震災でも文化財保護に取り組まれたそうですが、阪神淡路大震災でのご経験はどう活かされましたか?

遠く離れた兵庫県でも衝撃は大きかったです。揺れを感じた瞬間、これは規模の大きな地震だと直感し、すぐに阪神・淡路大震災時のデータをまとめてその日のうちに仙台市に送信しました。その後、現場に赴いて被害調査を行いつつ、地域の博物館や資料館、寺社や個人宅に所蔵されている土器や仏像、農具、古文書、写真など歴史文化遺産を早急に救出するため、『文化財レスキュー』を結成。全国的な取り組みとして皆であらゆる準備や対策を行いました。

というのも、何もかもが初めての体験となった阪神・淡路大震災では、組織の立ち上げにも時間がかかり、課題や問題に突き当たるなかで救出が間に合わず散逸したものも少なくありませんでした。そんな悔しい想いをしないためにも、文化庁各課や東京国立文化財研究所が主体となり、スピード感をもって対応されました。また、ヘリテージマネージャーの育成事業を通して育っていた人材は全国で数千人に昇っており(2021年には四千人を超えている。)、彼らの活躍も大きなチカラになりました。

Q/社会にとっての文化財の意義、また、それを守ることの意義についてどうお考えですか?

歴史的資産や文化的資産は、その地域独自の事業や雇用を生み出し地域の発展になくてはならないものです。私は長年、文化財としての建造物の修理に携わってきましたが、文化を守るということは、ただ単に建物という「モノ」を直すだけに止まらず、建物の背景にある歴史や人々の想い、そこにまつわる暮らしそのものを守り、未来へとつないでいくことだとずっと考えてきました。そして、その想いをより強くしたのが、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの大きな災害でした。被災地で実感したのは、そのまちの文化をつくりあげていた歴史的建造物が失われることは、そこにあった経済活動やコミュニティもが消えてしまうということ。それは、人々の精神的なダメージにもつながり、本当の意味でのまちの復興を遠ざけてしまうという危惧です。そうした事態を食い止めるために行った数々の施策や取り組みは、学生時代からずっと考え続けてきたことが皆さんの賛同を得られるカタチにようやくなったものだといえるでしょう。

阪神・淡路大震災後に開催された国連防災会議の場で「文化は公共財」と明言されたように、文化財が持つ役割や意義は、計り知れないほど大きなものです。地域の暮らしと密接につながる文化の保存は、未来の創造的な活動のためのシーズだと思っています。

Q/現場でご活躍しておられた村上先生が京都橘大学で教えることになった経緯と、この大学ならではの学びについて教えてください。

もし、学生と学ぶ機会を得られるのであれば、京都や奈良といった日本でも豊かな歴史や文化がある地域で、さまざまな文化財について見て触れられる環境があることが大切だと考えていました。その条件を満たしていたのが京都橘大学でした。本学には早くから歴史や文化遺産について学ぶカリキュラムが整っており、文化財を継承する人材育成を実践する場として、この上ない環境だと感じました。

実際、京都のまちではつねにどこかで文化財の修理が行われていて、いつでもその現場を見ることができます。昨年は1回生の学生たちと東福寺を見学し、国宝東福寺山門の上層や、国宝龍吟庵方丈、そして修復中の常楽庵客殿(普門院)など、なかなか見ることができない場所を見学できるという貴重な経験を通して、生きたフィールドワークを実践しました。文化財保護の現場を目の当たりにできるのは、京都橘大学ならではの魅力のひとつだといえるでしょう。

そうした恵まれた環境のなかで、私が最もチカラを入れている授業が文化遺産のマネジメントです。「保存」の形の継承にだけにとらわれず、どうすれば次の世代が歴史的文化的資産を大事と思って自然に使おうとするのか、地域コミュニティにおける資産を活かす賛同の創り方、まちづくり活動や法律との連携の在り方など、多角的な視点から考えていくチカラを育む学びです。文化財を継承するための生きた知識と実践力を身につけ、将来的にはそれぞれが生まれ育った地域に戻り、発展のために役立ててほしい……それが私の願いです。

Q/最後に、高校生に向けてメッセージをお願いします。

文化財保護を通して地域社会の未来を考えていく私の授業は、技術を持つ専門家育成ではなく、歴史文化を活かす事業家の育成をめざしています。地域社会全体を見渡せる人材が一人でも増えることで地域の文化が輝き、それが日本全体の歴史や文化の磨きにつながっていくと考えるからです。将来、市役所や町役場、企業など、どんなところで働くにしても、授業のなかで育む幅広い視点や発想力は、きっと大きなチカラとなるはずです。

だからこそ、自分の身の回りの出来事を考えるなかで何か心に響くものがあったりしたときには、「なんでだろう?」と立ち止まって見つめる人、そんな“気づくチカラ”をもつ人にこそ、ぜひ歴史遺産学科に来てほしいですね。日本の歴史や文化について一緒に見つめ直しながら、魅力あふれる未来の姿を考えていきましょう。

<ここがDISCOVERY!>

・村上先生は、長年文化財保護に携わってきたプロフェッショナル。数々の災害時に実践を重ねている日本の“文化財防災”研究のパイオニア!
・文化財保護活動が「本当の復興」の大きなチカラになった!
・文化財保護とは建物の背景にある歴史や人々の想い、そこにまつわる暮らしそのもの守り、未来へとつないでいくこと!
・文学部歴史遺産学科では、文化財保護を通して地域の発展やコミュニティの在り方を学び、幅広い分野で活躍するための思考力や問題解決力が身につく!

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