ヒトシの夢

PROJECT 01

将棋SHOGI

松原仁教授が大学に入学した頃は、まだパソコンが普及しておらず、AIの教科書もほとんどなかった時代。「将棋の名人に勝つプログラムを作る」という目標を掲げて研究を始めましたが、初めは「めちゃくちゃ弱かった」そうです。人間をはるかにしのぐほど強くなるまでには、どのような道のりがあったのでしょうか。

将棋が強いプログラムを作りたい

ぼくが東京大学に入学した1977年頃はまだパソコンが全然普及していなくて、もちろん自宅にもなかった時代です。大学1回生の時に選択科目のゼミを取ると「教育用計算機センター」という場所の利用許可がもらえて、そこでスペックのいいコンピューターを使うことができました。そして、プログラムというものを生まれて初めて書くことになった。さて、何を書こうかと考えた時にすぐ思いついたのが将棋でした。
ぼくは子どもの頃に将棋を覚えて、中学や高校の休み時間には将棋好きの仲間と将棋を指したりして、大学に入る頃にはアマチュア五段になっていた。将棋が大好きだったから、将棋が強いプログラムを作りたいと考えたんです。
「名人に勝つ将棋のプログラムを作りたい」と言うと「何言ってるんだ、お前は」と言われたけど、当時はコンピューターに何をさせられるかがよく分かっていなかったんです。まわりの学生たちも結構無謀な目標を立てていて、だいたいうまくいっていなかった。でも先生は「目標を立てて頑張っているからいいんだよ」と言ってくれて、優しかったですね。
読んでいた本や雑誌を通して、「海外ではチェスを使ったAI研究が進められている」という知識はあったんです。でも将棋のAI研究をやっている人の情報はなくて、「もしかしたら日本で将棋のプログラムを作ろうとしているのは自分が初めてなのかも」と思いながら取り組み始めました。

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AIの教科書がなかった時代

当時、『bit』というコンピュータ・サイエンス誌がありました。大学2回生か3回生の頃に、今でいう将棋AI同士が対局した棋譜が載っていたのを見て「お、やっている人がいるんだ」と知りました。早稲田大学の滝澤武信先生(名誉教授/コンピュータ将棋協会前会長)が1975年から将棋プログラムを作っていたのです。将棋を始めたばかりの子ども同士が指しているぐらいの、すごく弱い棋譜でした。偉そうなことを言っていますが、ぼくが作ったプログラムはそれ以下のひどいものでした。
今だとネットで論文を読めますが、当時は図書館で論文を取り寄せてコピーするしかありませんでした。AIの教科書もなかったし、さらにぼく自身も学問というものがまだよく分かっていなかったので自力で考えるしかない。でも大したことは考えられないから、めちゃくちゃ弱かったんです。
ただ、将棋のプログラムは大学院での研究テーマにはできないと指導教授から言われていたので「ロボットをAIで動かす」ということをメインの研究テーマにして、趣味の延長として将棋のプログラムは研究の合間に取り組んでいました。当時は「人工知能なんてまともな学問じゃない」と思われていた時代で、「将棋を強くすることで世の中の役に立つの?」と思われていた。人工知能は人間の役に立つものだと分かってもらうためには、医療や法律など誰が見ても大事だと思われるようなことを研究テーマにする必要がありました。

「将棋はチェスよりどれほど難しいのか」を数値化する

大学院修了後、通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)に就職しました。メインでやっていた研究を評価していただいて採用されたので、その研究をしながら、将棋の研究も合間に続けていたんです。30歳になった頃に、それまでの画像研究室から推論研究室というところに移ることになり、そろそろ将棋の研究を表舞台に出すことにしました。
初めに取り組んだのは、将棋がチェスよりもどれぐらい難しいかを示すこと。オセロやチェスなどのゲームの難しさというのは、展開する中でどれぐらいのパターン(場合の数)があるのかで決まります。たとえばオセロは10の60乗、チェスは10の120乗。将棋はチェスよりも場合の数が多いことは分かっていましたが、どれぐらい多いのかが分かっていませんでした。
まずプロ棋士の棋譜を何千局かコンピューターに入れて、「この局面で指せる手はルール上で何通りあるのか」ということを数えました。アルバイトを雇い、棋譜を打ち込んだりスキャンしたり、という膨大な作業です。『将棋年鑑』は10年分ぐらい入れました。事務室から「研究費で将棋の本をお買いになるんですか?」と電話がかかってきたりしてね(笑)。そのようにして計算した結果、将棋の場合の数は10の220乗ぐらいだというのが分かりました。

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羽生棋士たちの協力を得てAIは強くなった

羽生善治先生をはじめ棋士の方たちには、研究にかなり協力していただきました。棋士の中には「少なくともぼくが生きているうちは無理だ」と言っている方もいましたが、羽生先生はぼくも含めてコンピュータ将棋の関係者との交流があったので、遅かれ早かれ人間が負ける日が来るだろう……と思っておられたようです。
アイカメラという、視線の動きを確認できるカメラをつけてもらった上で将棋を指してもらう研究もしました。チェスで同様の研究がすでにされていて、強い人と弱い人では同じ局面でも見るところが違うということが分かっていたんです。「羽生さんにあんなカメラを付けさせるなんて」という批判的な意見も受けました。それでも羽生さんは研究に理解を示してくれて、大学の将棋部の学生にも協力してもらって、精力的にデータを取り続けました。
ある局面を見てもらったときに、羽生さんだけ他のプロ棋士と違う駒に視線が行ったことがありました。他の棋士たちも、考えた後で羽生さんと同じ駒に目を向けたのですが、羽生さんだけは直感で正解の駒に目がいっているわけです。このことを知った別のプロ棋士の方が「最初からここに目がいくというのが羽生さんと自分との違い。ここに差があるんだよな」としみじみとおっしゃっていました。強い人同士の違いというのはこういうところにあるのかな、と思って感心しましたね。
また、将棋の理屈に合わないようなめちゃくちゃな局面を見てもらうという実験もしました。この実験をすると、将棋が強い人ほど頭が混乱するんです。羽生さんは苦笑いしながら付き合ってくれましたが、あるプロ棋士の方は「こんなことをやると将棋が弱くなる」とおっしゃっていました。
たしかに棋士は良い局面を見続けることで直感力が磨かれていく。芸術家が良い絵を見続けるのと同じです。変な局面をたくさん見ると、直感が上書きされてしまう可能性はありますよね。心配しましたが、実験に協力してもらったプロ棋士のその後数年を見ていたところ、弱くなった方はいらっしゃらなくて幸いでした。

「オセロの悲劇」を避けたかった

チェス専用コンピューター「ディープ・ブルー」が人間の世界チャンピオンだったガルリ・カスパロフに勝ったのは1997年。大ニュースになりました。実はその前年にも同じ組み合わせで対戦して、その時はカスパロフが勝利していたのですが、その時はあまり話題になりませんでした。人間が負けたから大きなニュースになったんです。
僕は、将棋AIも、人間が良い勝負をできるうちに対戦させたいと思っていました。そう考えた背景として「オセロの悲劇」があります。オセロは1970年代に日本人が作ったゲームで、簡単で分かりやすいので世界中に広まりました。日本ではAI研究はあまりされませんでしたが、海外ではオセロAIの研究が進んで強いAIプログラムができました。オセロが強い人間は日本にかたまり、強いAIは海外にかたまっているという状態になり、強い人間と強いAIが対戦する機会がなかったんです。
そこで米国の研究者が「オセロが強い人間は、AIとの対戦を受けずに逃げている」というエッセーを書き、たまたまそれを読んだ世界トップの日本人が対戦することになりました。
ただ、対戦のタイミングがちょっと遅すぎたんです。実現したのは1997年8月。その年の5月にチェスAIが人間に勝った年です。場合の数がチェスよりも小さいオセロでの対戦は、6戦6敗で人間の全敗でした。90年代の前半に対戦していれば良い勝負だったと思う。
だから将棋は良いタイミングで対戦したほうが良いと思って人間とAIの対局をプッシュしていたんですが、なかなか実現しませんでしたね。2010年に将棋AI「あから2010」が清水市代女流棋士に勝ち、16年、17年には将棋AI「ポナンザ」が山崎隆之棋士、佐藤天彦棋士に圧勝。もう少し早かったら良い勝負になっていたかなぁ。

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▲ 2010年、プロ棋士とコンピューター将棋の対戦が行われた。記者会見の様子。右端が松原教授

AI同士の棋譜は、人間とは違う芸術作品

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▲ 羽生善治棋士との対談も収録された
松原教授の著書

人間とAIの対局のタイミングは、難しいですね。人間には失うものがあるけど、AIには失うものはありません。プロ棋士が負けると、応援しているファンも傷つくような感情になるからなのか、「人間を冒涜するな」「これ以上AIを強くさせるな」といった、世間からは否定的な意見や批判もありました。
ぼくも将棋が大好きなので気持ちはよく分かる。しかし、研究者としては個人的な思いは捨ててAIを進展させなければいけない。だから割り切ってやってきました。AIが人間に追いつき追い越す時は軋轢がありましたが、そこを超えたら結構うまくやれている。今では、AIを使うことで人間の将棋のレベルもはるかに上がりました。それはファンとしては嬉しいことなのではないでしょうか。
人間同士の対局を見ていると、その人の心を感じることがあります。切迫してくると髪の毛をかきむしったりするし、ファンはそういう物語を見たいですよね。AI同士だとそういう物語はないけど、「心があるんじゃないのか」と感じることはあるんです。ただ、AIの手はちょっと独特なんですよ。人間だったら「踏み込んだ手」とか「怖がっている」と形容されますが、AIは「人間にはなかった手だよね」という指し方をすることがある。「こんなところまで相手が攻めてきているのに、守らないで攻めるのか」というような、人間なら怖くて指せないような将棋を指すのが見られたりします。「肉を切らせて骨を断つ」とでも形容したらいいのかなぁ。
将棋としてのレベルで考えると、人間同士のタイトル戦よりもコンピューター将棋同士の対局の方が上になりました。人間同士の対局とは違う棋譜を将棋ファンに見せることができるというのは良いことだと思うし、違う芸術作品を見るような感じでプロ棋士も将棋ファンも受け入れてくれているのかな、と感じています。
棋士の中には、今でもAIを敵視する方もいます。でも藤井聡太棋士のような若い世代は物心ついた頃にはAIがかなり強かったので、敵視するという感覚はないし、AIに対してコンプレックスも持たないのだろうと思います。
研究してきたぼくでさえ、AIに対して微妙なコンプレックスを持っています。だから、「AIは賢い」ということが当たり前の時代に育った「AIネイティヴ」世代に期待したいですね。

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