ヒトシの夢

インタビューINTERVIEW

幼き頃に見た『鉄腕アトム』に魅せられ、
『人間のように心を持つロボット』を作りたいと、夢に向かって、研究を続ける松原仁教授。
人間に勝てる将棋AIや、AIに小説を書かせるなど、多様なプロジェクトに関わってきました。
でも研究生活を始めた頃は「AI冬の時代」。
教わる先生もいない中でのスタートだったそう。
松原教授が研究者として目指す先には何があるのか、そのゴールに迫ってみました。

Episode01 「人間に勝てる将棋のプログラム
を作りたい」

ぼくが東京大学理学部に入学したのは1977年です。当時、コンピューターは大学や企業にしかなかったので、大学に入ってからようやく使えるようになりました。プログラミングの教科書を見ながら「何か書いてみたい」と思って、無謀にも大学1年生の時に将棋のプログラムを書き始めました。

ぼくは小学生のときに将棋が好きになって、友達と指したり将棋雑誌を買って研究したりして、大学に入る頃にはアマチュア五段になっていました。その頃、将棋のプログラムは世の中にほとんど無かったので、自分が好きな手を見つけるために書いてみよう、と。めちゃくちゃ難しくて、しばらくはまともに動かなかったですけどね。

ぼくは覚えていないのですが、「いつかコンピューターは人間に勝てる。そのプログラム作りに参加したい」といろいろな友達に話していたようです。当時は本当に弱いプログラムだったので、「そんなの無理だろ」とバカにされてましたけど(笑)。

東大の理学部の学生は、ほとんどが大学院に進むんです。大学院では何を勉強しようかと考えた時に、やっぱりAIをやりたいと思いました。ただ、当時は東大にAIの授業がひとつもなかった。研究をしている先生がなかなか見つからない中、研究テーマの一つに「人工知能」と書いている先生がいたんです。それが井上博充先生(現:東京大学名誉教授)でした。

Episode02 「一人でがんばりたまえ」と言われて

井上先生はロボット研究で有名な方で、ロボット研究のメッカであるアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で1年研究されていたことがありました。MITには当時、(人工知能研究所の創設者の一人で「人工知能の父」と呼ばれる)マービン・ミンスキー氏などの大物研究者がたくさんいました。ミンスキーたちが楽しそうに議論している様子を見て「この分野は面白いのかもしれない」と思い、東大に戻ってきて学生向けの案内に「人工知能」という言葉を入れたとのことでした。

井上先生ご自身が人工知能の研究をされていたわけではなかったので、最初に言われたのは「君、やりたいならやってもいいけど、ぼくは何もわからないから一人でがんばりたまえ」。とてもありがたかったです。他の先生が全部ダメだと言う中で受け入れてくれて、研究の中身に対して文句も言われないのですから。

ただ、AIの授業があるわけではないし、日本語の教科書も1冊か2冊あるぐらい。英語はそんなに得意じゃなかったけど英語の論文や本を取り寄せて読みました。AIの研究をするというのは、そういうものなのだと。

でも、ぼくの他にもAIに興味がある学生がちらほらといて、その中の何人かが「AIUEO(Artificial Intelligence Ultra Eccentric Organization=人工知能を研究する超変態集団)」という勉強会を立ち上げていて、そこに入れてもらいました。担当を決めて論文を読んで、それについて発表するんです。でも、AIの論文って長いんですよ。一つの論文で50ページぐらいあったりして、英語だから理解できないのか内容が理解できないのかもよく分からない。皆からも「松原、お前の言ってること全然分かんない」「そんなこと書いてないだろう」とか言われて。2週間に1度、土曜日の午後だったかな。AIについては、ほとんどそこで勉強したという感じですね。

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大学院時代はAIの勉強をしながらも、ロボットの研究室にいたのでロボットを動かすAIのプログラムについて研究していました。将棋のプログラムは趣味でやっていたんです。

当時取り組んでいたのは、ロボットに積み木でアーチを作らせること。ロボットに腕とカメラが一個ずつ付いていて、「アーチを作れ」と命令すると積み木をどれだけ持っていけばいいかを自動的に計算するシステムを開発していました。「〇〇したら△△する」というプログラムを書き始めたのですが、すぐに「〇〇したら」の可能性が無限にあってキリがないということに気がつきました。すべての可能性をいちいちプログラムに書けないじゃん、と。

そこで「フレーム問題」について研究し始めました。人間は無限にある情報に枠(フレーム)をはめて、枠の外はないことにして枠の中だけで考えます。たとえば誰かと待ち合わせの約束をしていても、大地震があったら「待ち合わせどころじゃないからキャンセルしよう」となりますよね。でも、小さな地震だったら? 何が起きたらキャンセルするのかを厳密に定義しようと思うとキリがなくなります。

フレーム問題はもともとロボットとは関係があると思われていなかったのですが、「同じことじゃないのか」と考えたんです。大学院の博士課程で研究し始めて、就職した通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現:産業技術総合研究所)で本格的に取り組みました。

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Episode03 哲学者と議論し、鍛えられた

仕事と並行して、AIUEOのメンバーが中心になって「寺子屋」という勉強会を始めました。哲学系の本を出していた出版社の社長さんがAIに興味を持ってくれて一緒に始めたもので、哲学者は哲学、AI研究者はAIについて話すんです。月に1度か2ヶ月に1度集まって開き、そのあとは皆で飲みに行く。面白かったですね。AI研究者はだいたい「いつかAIは人間並みの知能を持てる」と言うんだけど、哲学者は「根拠はどこにあるんだ」って。やっぱり哲学者って議論がうまくて、しかもお酒もめちゃくちゃ強い人が多くて、二重に負かされたような気がしていました(笑)。

当時はAIの能力が低かったから哲学を語るしかないわけです。将棋のソフトが想像以上に弱いのに「いつか名人に勝つ」と言うためには、それなりの理屈を考えないといけない。それは寺子屋でずいぶん鍛えられたと思います。

最近は一生懸命説明しなくても「理屈はいいからパフォーマンスを見てよ」と言えば済むようになりました。だからなのか、若い研究者は技術にしか興味がないという人もいますが、そろそろ反動があるのではと思っています。哲学者の中には、「高い能力を持つようになったAIにどういう意味があるのか」について考えている方もいますしね。

Episode04 理解されないこともたくさんあった

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「人間に勝つ将棋のプログラムを作る」という目標を掲げて研究を続けてきましたが、実際に勝つのを見たときは結構複雑な気持ちでした。将棋の研究を通じて羽生善治さんや藤井聡太さんなどプロ棋士とも随分知り合いになり、研究にも協力していただいた。羽生さんや藤井さんは英雄で、天才。そういう方達を機械が超えてしまうということには複雑な感情がありますが、いつかAIが人間を抜いてしまうのであれば、将棋に対して尊敬の念がある形で抜けたらいいな、とは思っていました。

将棋AIより前からチェスAIの研究が始まっていましたが、特に海外では、チェスはスポーツという感覚があります。世界チャンピオンのガルリ・カスパロフがチェス専用コンピューター「ディープ・ブルー」に負けた時は、人間がサッカーをするロボットに負けたのに近い感覚があったのではないかと思う。でも将棋はスポーツというより、柔道のような「道」。だから将棋AIが人間に勝った時のほうが、プロ棋士や将棋ファンが受けたショックは大きかったように思います。

あの頃は軋轢が結構あったんです。初めて人間を負かした将棋AIはぼくのソフトではないけど、業界のスポークスマンのようなことをしていたので、世間からは否定的な意見や批判もあったようです。「これ以上将棋AIを強くするな」とか「人間を冒涜するな。AIで他にやることがあるだろう」とか。将棋の世界に限らず「自分よりAIが強くなると自分の存在が脅かされる」と感じるのは人間の本能だから仕方がない。ただ、研究を通して感じるのは「人間ってすごい」ということです。人間の能力って、最終的には直感だと思う。もちろん理屈をたくさん学んで身につけた上での直感ですが。

いろいろな分野の専門家と話をすると、たとえば「右か左か」を決めるときにぱっと「右だ」と分かる。それは直感なんだけど、よく考えてもやっぱり右なんです。あれはすごいと思いますね。羽生さんにも何度もインタビューさせてもらいましたが、指す時に「局面が光る」とおっしゃるんですよね。子どもの頃からずっと将棋を指してきて、それが昇華して直感につながっている。

ディープラーニングが指す手は人間の直感に近い。研究者の中には「人間のやっていることもディープラーニングだ」という人もいます。ぼくはちょっと違うんじゃないかと思うんですが、どこが違うのかもまだよくわからない。ただ、どこか通じるところがあるかもしれない。そういう意味ではAIを研究するのは人間を理解することだし、非常に興味深いところですね。

Episode05 「人間とは」を考え続けて

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(AI研究者のレイ・カーツワイル氏が提唱した)シンギュラリティは、人間が生み出したテクノロジーが急速に進化し、後戻りできないほど人間の生活を変容させてしまうという概念です。将棋界にはすでにシンギュラリティがきていると思いますが、人間とAIは結構うまくやっているのではないでしょうか。「シンギュラリティがくるとAIが人間を支配する」という危惧もあるのだろうけど、将棋界ではAIを使って研究することが広まり、10年前や20年前よりもプロ棋士が明らかに強くなっている。AIによるアドバイスや評価値によって、将棋ファンもプロ棋士が指す手の意味を理解しやすくなったり、対局中にどちらが優勢なのかが分かったりできるようになりました。

AIが人間を追いかけてひたひたと近づいてくると「食べていけなくなるんじゃないか」と思って本能的に防御したくなるし、不快感があるのは当然だと思う。シンギュラリティがくる時期にはいろいろな分野で軋轢があるかもしれないけど、その時期をうまく過ごせばなんとかなるのではないでしょうか。

「人間とは」ということをずっと考えてきていますが、知ろうとすればするほど複雑で分からなくなっていく。たとえば将棋を例にとると、将棋AIが出てくる前と比べると「これぐらいのことをすると名人のレベルになる」ということが分かりました。そう考えると少しは前進したと言えるかもしれない。でも、人間が何かをしたいと思う動機や目的については、まだまだ分かっていません。

今後は、やっぱり原点に戻って『鉄腕アトム』のような「人間のように心をもつロボット」を作りたい。生成AIは空間認識能力が弱いんです。体もないし、目も耳もないので、言葉を通してしか世の中を知らない。たとえば「左の後ろ」というと人間なら大体感覚がわかりますが、生成AIは言葉の意味は分かっても、それがどこを指すかがわからない。だから身体という限界を与えて成長させることで、フレーム問題に対して人間のように振る舞える人間の相棒になるような人型ロボットを作りたい。

やりたいことは他にもあって、いまはカーリングの研究もしているし、オーバーツーリズムの研究も始めました。AI政治家というのにも取り組んでいます。人間だとしがらみがあるし、誰かの利益を代表しないと当選できないけれど、AIだったら問題ごとにベストだと思うことをやればいい。人間よりも向いているのじゃないかと思うんです。

もし生まれ変わったら、またAIの研究をするような気がします。でも今のようなブームだったら、日の目を見ない研究分野に興味を持つ可能性がありますね。天邪鬼なので(笑)。