


ゲームGAME
AIの研究にゲームが果たした役割は、はかりしれません。松原仁教授はロボットにサッカーをさせる「ロボカップ」創設者の一人として草創期から関わり、ゲーム情報学研究会の立ち上げメンバーでもあります。大学生の頃に研究を始めた将棋もゲームの一種ですが、実は、日本では長くゲーム不遇の時代が続いたそうです。周囲の理解を得られない中で、どのように研究を続けてきたのでしょうか。
ゲームはAI研究に向いている。でも日本では…
海外では早くからAIにチェスをやらせる研究が行われていましたが、日本では「ゲームがAI研究に役立つ」ということが理解されていなかった。日本人はまじめで「社会の役に立つ研究をしなければ」という思いが強かったのだと思います。
欧米の人も、役に立つことをやりたいとは思っていたんですよ。でも研究の初期からは無理だから、ゲームという中間目標を設定した。しかし日本では中間目標だとしても「ゲームの研究なんてけしからん」という考え方が強かったのだと思います。
そもそもゲームはなぜAIの研究に向いているのか。一言でいうと、他の問題に比べて簡単だからです。実社会の問題ってルールがあるのかないのかも分からないですよね。何をどこまで考えたらいいのかも分かりにくいです。それに対してゲームは勝ち負けを含めてルールがはっきりしているし、考えればいい範囲も限られている。だから、取り組みやすいんです。特に初期のAIからすれば「ゲームぐらいできるようにならないとね」というところがありました。
そのため、情報系の国際会議ではチェスのプログラム同士が対戦するイベントが行われることが一般的だったのですが、日本で開催された時には対戦イベントが実施されませんでした。「そんなことをしたら情報系が信用を失ってしまう」と日本側が拒んだそうです。こういう雰囲気があったから、日本はAI研究の立ち上げが遅れたのだと感じています。

アメリカで刺激を受け、「場」づくりに乗り出した
ぼくが学生の頃には、ゲームを研究テーマにすることは許される雰囲気ではなかった。だから画像認識やロボットをテーマとして博士号を取りました。でも今は大学でゲームの研究をするのはOKですし、だいぶ感覚が変わってきた。
ゲーム情報学研究会を1999年に作った頃には、世代が交代して「仕事は我慢してやるものではない。楽しくてもいいじゃないか」という考え方に変わってきたのではないかな。特にデジタルゲームが一般的になり、「ゲームも産業の一部」という感覚が広がりました。ゲームは学生の研究テーマとしては手頃なので、ゲーム情報学研究会での発表数も多いです。
ゲーム情報学研究会を立ち上げた背景としては、1993年から1年間、アメリカのスタンフォード大学に研究員として滞在した経験があります。スタンフォードは、マサチューセッツ工科大学(MIT)とカーネギーメロン(CMU)と並んで情報系で有名な大学です。論文で名前を知っていたような先生と話をする機会もあり、すごく刺激を受けました。自主的な勉強の場に誘ってもらうこともあり、非公式な場でディスカッションすることで研究が進むと感じたんです。

▲ スタンフォード大学
だから日本に帰ってきてからは、「みんなが集まったり発表したりする場を作らなければ」と考えました。大学でゲームをテーマに卒業研究をしたくても、その頃はやりにくかった。でも研究会があれば正式に認められるから、堂々と研究できるようになります。
まず、1994年に箱根に泊まり込んでワークショップをやりました。いきなり研究会を立ち上げるのは大変だけど、関係者が勝手に集まって交流するのは自由ですからね。呼びかけたらそれなりに集まってくれたので、ワークショップを数年続けた上で研究会にしました。
世界チャンピオンチームに勝てるサッカーロボットを作りたい
研究会もそうですが、仲間を増やすことが全体にとっても良いことだし、自分にも良い影響として返ってくるだろうなと若い頃から思っていました。「鉄腕アトムを作りたい」と思っていても、自分一人では絶対にできません。将棋のプログラムで名人に勝つことも、僕一人では無理。だから仲間を増やしたかった。
自分で考えて動く自律移動型ロボット同士にサッカーをさせる大会「ロボカップ」も仲間たちと立ち上げました。発足したのは1992年。その頃、国内外のAI研究者たちは「チェスの次のテーマ」を探し始めていました。ぼくも仲間と「チェスの次」を考えるワークショップを開き、楽しく議論したうちの何人かで「本格的に考えよう」とアイデアを出し合いました。そこで「チェスは思考ゲームだったから、次は身体性のゲームが良い」との意見が出てきたんです。
考えてみれば、サッカーは世界で人気が高いスポーツだし、日本でもちょうどJリーグが開幕する頃でした。さらに、日本の研究は後追いだと言われることが多いのが悔しかったので、「日本発・世界標準って、かっこいいじゃん」と盛り上がった。
でも、将棋のプログラムはコンピューターがあればできるけど、ロボカップをするためにはサッカーをさせるロボットを作らないといけないし、大会を開くための広い場所も必要。さらに世界大会にするとなると億単位のお金がかかります。不景気の今は大変ですが、景気がよかった時はいくつかの自治体から誘致を受けたこともありました。
ロボカップは今も続いていて、コロナ前はほぼ毎年世界大会も開かれていました。開催国は日本だけでなく、ブラジルや中国、オランダなど世界各地。「2050年までに人間のサッカー世界チャンピオンに勝てるロボットのチームを作る」という夢を掲げています。

「精神的な豊かさ」にAIが果たせる役割
若い頃から「AIの技術は人間を幸せにするためのものだ」という考えを持っていました。高度経済成長期があり、日本ではそれなりに食べられるようになった。物理的な幸せの次は、精神的な豊かさ。楽しい時間をなるべく豊かに過ごすことが精神的な豊かさなのではないかと考えて、AIを含めた情報処理技術はそれに貢献すべきだと思っています。
将棋を指している人は将棋を指している時、サッカーが好きな人はサッカーをしている時が幸せですよね。だからAIで真正面から扱うべきだと思って、2004年頃から「エンターテインメントコンピューティング」に取り組み始めました。
最近は「人狼ゲーム」について研究しています。参加者を村の住人だと仮定して、その中にひそむ「人間に化けた狼」を見つけ出す、というゲーム。会話などから狼を見つけるのですが、参加者は嘘をつきながら話し合いをするというゲームなので、AIにとってはめちゃくちゃ難しいんです。人の嘘を見破らないといけないし、AIも嘘を言わないといけないので。
将棋のようにゲームをしている人が全ての駒の動きを把握できる「完全情報ゲーム」と違って、人狼は、情報が欠けた状態でプレーをしなければいけない「不完全情報ゲーム」。完全情報ゲームならAIは人間に完全に勝てるようになってきましたが、不完全情報ゲームではまだ追いついていません。

将棋では棋譜をコンピューターに入力して学ばせるというやり方をしていましたが、人狼のようなゲームは棋譜がありません。しかも、強い人のプレイを見ていても「この人はなぜここでこういう質問をしたのだろうか」という意図が分からない。実際に強い人に「いつからあの人が人狼だと疑いましたか」といった質問をして研究しています。
ゲームの関係者からすると、AIが強くなると嬉しい反面、問題がなくなってしまって悲しいという思いもあります。チェスでAIが名人に勝った時には「ロス」のような現象が広がりました。燃え尽きて「これから何を研究すればいいんだろう……」と。研究者たちはみんな、難しいゲームを求めているんです。人狼ゲームは、まだしばらくは研究を続けられそうです。


