


スポーツSPORTS
松原仁教授は長らく、将棋や小説、漫画など「AIに何かをさせる」研究をしてきました。でも最近は、人間がスポーツをする時にAIがどのように役立てるかについて考えているそうです。スポーツの世界にAIが浸透することで、スポーツの楽しみ方も変わっていくのでしょうか?
「人間の道具」としてのAI研究
AIの能力が低かった頃は、まずはAIというものを信用してもらう必要がありました。将棋で名人に勝てば「AIの能力って高いんだよ。信頼に値するものなんだよ」と言えますよね。だから将棋AIやロボカップなどを通して、AIの能力を高めることに注力してきました。でも本来、AIと人間は競うものではない。AIはあくまでも道具です。最近はAIの能力が高いことが知られるようになったので、ようやく本来の目的である「人間の道具」としての研究に向かえるようになりました。

そこで取り組んだ研究のひとつが、スポーツのカーリングです。
ぼくは2000年に、それまで勤務していた通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)から公立はこだて未来大学(北海道函館市)に移りました。その頃、知り合いが北見工業大学(北海道北見市)にいて、「北見ってカーリングの本場なんですよ。知ってますか?」と聞かれたんです。当時、カーリングはマイナースポーツで、まともな記録も取られていなかった。プレーを見ている人が「(ストーンは)こんな軌道だった。ここら辺に来たよ」と言うような感じでした。
カーリングを盛り上げるために大学として貢献できないか、ということでぼくにも相談があったんです。カーリングは「氷上のチェス」と言われているので、ゲームの研究をしていた僕や他の仲間たちが集まって「カーリングを科学する」ということで研究を始めました。
ロボカップは「人間の世界チャンピオンのチームに勝つロボットチームを作る」ことが目標ですが、カーリングは「人間のチームを強くする」ことが目的。北見のカーリングチーム「ロコ・ソラーレ」を対象として、ストーンの位置を正確に把握してデータを記録できるようにすることから始めました。狙ったところに投げられたかの確率がすぐに分かるようになり、選手たちからすごく便利だと言われました。
ロコ・ソラーレは2018年の平昌オリンピックで銅メダル、2022年の北京オリンピックでは銀メダルを取りました。AIというよりは、データの分析で結構貢献できたと思います。

▲ 2014年頃に北見市のカーリング場でプロジェクトメンバーとカーリングの実地体験をしたときの一枚。前列左から3番目が松原教授。
大谷選手のすごさ、AIで分かりやすく
スポーツに関してAIができることは二つあると考えています。
まずはプレイヤーのレベルをあげること。そして、より楽しくスポーツを見ることに貢献することです。たとえばカーリングの試合中に、勝っているチームがそのまま勝つ確率がどれぐらいあるかを示す期待勝率が出ると、より分かりやすくなりますよね。
野球の大谷選手のプレーのレベルを上げることも大事だけど、大谷選手のプレーを数値化してデータで示せたら、大谷選手がいかにすごいかが見ている人に伝わります。
スポーツは、昔は「努力と根性」のイメージがありましたが、だんだん科学的になっていくと思います。もちろん最終的には人間のコーチが経験や勘に基づいて判断するにしても、判断材料の一つとしてAIの分析結果を使っていただけたら。
ただ、将棋もそうですが、スポーツでも年配の方はAIを好ましく思っていない方が多い印象があります。審判に関しても、AIの技術的な精度が高かったとしても使いたくないという意見もあります。
自分が長い時間をかけて培ってきたものがAIによって崩されるのは嫌だということは理解できますが、器械体操のように、人間が見ても分からないレベルの技の競い合いになってきたものもあります。ぼくが富士通と共同で開発した体操競技向けのAI判定システムは国際体操連盟の世界選手権で採用され、選手もAIの判定に納得しているようです。

一方、野球のAI審判は試験的には使われているものの、本番で使うことについては選手もファンもまだ納得していないようですね。ボールの見極めなどはロボット審判のほうが精度が良いはずですけど、「審判も含めてスポーツだ」という言い方もありますので。人間の審判に恥をかかせるわけにはいかないので、たとえばAIの判定を審判だけに伝えられるようにしておけばいいのでは。審判はそれを参考に判断できるようにすれば、AIと人間の審判が共存できるのかな、と考えたりしています。
データ活用、大学の部活でも
スポーツって、思ったところに思ったような手が打てるわけではない。精神状態や疲労度によって、どのような動きができるかが違いますよね。AIの研究者としては、そこが面白いところだと感じます。
ぼくが中高で続けていたバスケットボールのコーチから言われたのは「調子が良い時にシュートが入るのは当たり前で、それは実力ではない。一番調子が悪い時が自分たちの実力なんだ」ということです。「口が裂けても『今日は実力が出なかった』と言ってはいけない。疲れ切った時にシュートが入る実力をつけていくのが練習なんだ」と。とはいえ、いくら練習を積んだとしても、頭で分かっているのに体が動かないことがあるのが人間とAIの違いで、面白いところ。スポーツにAIを取り入れる上でもそのことを前提にしなければいけません。
AIができることとすれば、たとえばAからCまで三つのプランを用意しておいて、「理想はAプランだけど、無理ならBかCで。選択はご本人がしてください」と示すようなことですね。あるいは、たとえばバレーボールだったら「ジャンプが試合の前半より5センチ落ちています」と伝えることで本人が「それなら違う打ち方をしなきゃ」と気づける、とか。
京都橘大学でも、サッカー部や女子バレーボール部でデータを取らせてもらう予定です。オーストラリアなど海外では、本格的にデータ分析を使ってチームを強化しています。日本はデータ分析が遅れているので、取り組んでいきたいですね。

日々、新しいことに興味が広がる
スポーツに関する研究は、以前は人間の体力を調べるようなスポーツ学が多くて、スポーツ情報学の発表の場は少なかったんです。でも野球やサッカーでデータ分析が盛んになり、「まとまった場が欲しい」という声が出てきたので、情報処理学会の中に昨年「スポーツ情報学研究会」を立ち上げました。「松原さんって、すぐに飽きて違う研究会を作るよね」と言われます。飽きてるわけじゃなく、新しい仲間をたくさん作りたいだけなんですけどね(笑)。学者は論文件数で評価されて職場や昇進が決まります。新しい研究会を作ってもそんなに評価されないし、時間も取られます。ある分野で極めて第一人者になってそこに安住する方が幸せなのかもしれない。でもぼくは性格的に安住できないんですよね。
立ち上げた研究を一生続けられる自信がなくても、研究会などで仲間を集めていれば、万一ぼくがいなくなっても続いていきますしね。とはいえ責任があるので、今でもコンピューター将棋もロボカップも続けています。「飽きっぽい」と言われると辛いけど、よく言えば好奇心の塊なので、日々、新しいことにチャレンジしたくなるんです。


