
日清戦争は
なぜ起こったのか
飯塚一幸
京都橘大学文学部歴史学科教授
一
日清戦争は、その戦勝によって日本が台湾・澎湖諸島を植民地とし、「帝国化」の起点となった戦争です。そのため、日本近代史だけでなく東アジア史全体の分岐点としての意義を持ちます。戦後の日本近代史研究では、「欧化による近代化」を進める日本にとって、東アジアの国際秩序の再編は不可欠であると考えられてきました。
- ① 明治維新後一貫して朝鮮の獲得をめざしていたのか
- ② 琉球処分をめぐる日清間の対立がきっかけと考えるか
- ③ 壬午軍乱・甲申事変を機に清と戦う意志を固め軍拡に専念していくのか
といった考えの違いはあるものの、日清戦争をそうした国際秩序再編の結果と位置づけてきたわけです。
ところが、1980年代以降、「欧化による近代化」と「帝国化」は本当に切り離せない関係だったのかとの問題が提起され、通説に疑問が出されます。日清戦争は、明治維新以来の朝鮮政策から起きた、避けられなかった戦争ではないと捉え、「帝国化」せずに近代化する可能性があったことを示そうとしたのです。

二
たとえば近年の研究により、壬午軍乱・甲申事変後における日本政府の東アジア政策が見直されています。1882年の壬午軍乱と1884年の甲申事変では、朝鮮における清の軍事力を見せつけられ、日本に近かった朝鮮の独立党は壊滅し、駐留日本軍も手痛い敗北を喫しました。
こうした事態に対し、日本では薩摩閥を中心に開戦論が主張されました。しかし、伊藤博文・井上馨ら藩閥の主流派は、清の朝鮮での優位を認め、1885年4月、日清両軍の朝鮮からの撤兵などを定めた天津条約を結びます。その直前に、イギリス艦隊が朝鮮南端の巨文島を占領する事件が起き、ロシアが日本近辺で対抗措置を取る危険性が生じたため、日本政府は、ロシアの南下阻止を優先して朝鮮での清の優位を認める日清協調へと舵を切り、朝鮮中立化を提案するのです。天津条約体制の成立です。
確かにこの時期、朝鮮中立化は実現性の乏しい政策でした。とはいえ、甲申事変後から日清戦争の直前に至るまで、日本政府は開戦してまで朝鮮をめぐって清と争う意図を持っていませんでした。そうした外交政策を転換しなくては日清開戦には至らないのであり、改めて日清開戦の原因が問われることになりました。

三
日清戦争の直接のきっかけは、1894年2月に東学党が蜂起して広がった甲午農民戦争であると考えられてきました。しかし、6月に伊藤博文内閣が決めた朝鮮への派兵は、日本公使館・居留民の保護及び東学党軍鎮圧への参加が目的であり、日清開戦を掲げてはいません。ところが、日本軍が朝鮮に上陸した時には、朝鮮政府と東学農民軍の間で全州和約が成立して戦闘は収まっており、派兵理由が消えていました。伊藤内閣は、朝鮮へ派遣した軍隊を撤退させるのか判断を迫られます。
当時日本は、条約改正を争点とする総選挙中でした。伊藤首相や陸奥外相は、派遣した大軍が何らの軍事行動も行なわずに撤兵すれば政治的失点となり、総選挙で条約改正交渉を批判する「対外硬派」と呼ばれる勢力に敗れるのではないかと危惧します。近年の研究は、こうした内政上の危機を打開するために、伊藤内閣が6月15日の閣議において朝鮮への派兵目的を変え、事実上の対清開戦方針を決定したと解釈しているのです。
ただ、日清戦争の開戦理由をめぐる論争が決着したとまでは言えません。朝鮮問題の重要性を改めて強調する人もいます。陸軍の主流派は日清戦争を戦える軍隊にするための準備を着実に進めていた、伊藤首相は甲午農民戦争を機に日清共同による朝鮮内政改革に強くこだわっていた、といった主張が出されています。日清戦争の開戦理由一つをとっても、研究が尽きることはありません。そこが歴史学の面白いところなのです。
推薦図書
◉原田敬一『戦争の日本史19 日清戦争』 吉川弘文館 2008年
近代日本が初めて経験した本格的な対外戦争で、国民の形成に決定的な役割を果たした日清戦争について、「戦史」に重点を置きつつその全貌に迫った好著。
◉大谷正『日清戦争』 中公新書 中央公論新社 2014年
比較的新しい日清戦争の通史。大量に動員された軍夫や、下関条約締結後に長期間続いた台湾征服戦争まで叙述していて、日清戦争研究の最新動向を学ぶことができる。
◉佐々木雄一『リーダーたちの日清戦争』 吉川弘文館 2022年
伊藤博文首相や陸奥宗光外相など日本の指導者たちに焦点をあて、日清戦争の開戦過程、清や列強との外交交渉、講和問題の推移など、戦争の全体をわかりやすく記している。
PROFILE
飯塚 一幸
いいづか かずゆき 京都橘大学文学部歴史学科教授
京都大学大学院 文学研究科 博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は日本史(近現代史)。主な著作に、「近代移行期の酒造業と地域社会-伊丹の酒造家小西家-」(吉川弘文館 2021年 編著者)、「明治期の地方制度と名望家」(吉川弘文館 2017年 単著)、「日本近代の歴史3 日清・日露戦争と帝国日本」(吉川弘文館 2016年 単著)などがある。