有坂道子

古文書が語る歴史、
古文書から見えること


有坂道子  京都橘大学文学部歴史遺産学科教授

 私たちが過去のことがらを知り歴史を考えるためには、何らかの手がかりが必要です。自分たちが生きている時代のなかで生み出されたものならば、実感をともなって理解することは可能でしょう。ですが、自らの経験や体験の知識が及ばない遠く離れた時代であれば、それがどのようなものであったのか、どうやって出来たのか、なぜそうなったのかといった事実に近づくためには、ヒントを与えてくれる史料の存在が欠かせません。

 考古遺物や絵画、建築など、歴史を知るための史料にはさまざまなものがあります。なかでも、古文書や古記録などの文字史料は、文字によって直接私たちに歴史を伝えてくれます。発掘された遺構や遺物、美術工芸品や建築物を研究する際にも、文字史料は重要な役割を果たします。目に見えるものだけではなく、芸や技術のようなもの、伝承や風俗、ものごとの手順や儀式の段取りなどが文字によって伝わることもあります。また、古文書の紙やかたち、書き方やスタイルなど古文書そのものも、歴史資料として研究の対象になります。

整理を待つ古文書
古文書が語る歴史を読む

 教科書で学ぶ歴史は、もちろん古文書や古記録をはじめとした史料に基づいて叙述されていますが、どうしても政治の大きな流れや重大な事件・重要な人物が中心となり、事の結果だけを追ってしまうことも少なくありません。一方、地域に残された古文書を調査していくと、それぞれが置かれた境遇で一生懸命暮らしている、ごく普通の人々の日常を垣間見ることができます。また、仮に自分とはかけ離れて想像もつかないような人でも、日記や手紙を読めば私たちと同じように悩み苦しみ、楽しみ笑い、一人の人間として生きたその人生を身近に感じることができます。そうした多くの古文書は、結果にいたる過程やものごとの背景を知ることの大切さも気づかせてくれます。

 ところで、医療の進歩は近年めざましいものがありますが、日本の医療が大きく変化を遂げたのは、江戸時代に西洋の新しい医学がもたらされてからです。とくにここ京都は、江戸や長崎と並んで医療の先進地域の一つでした。江戸時代の京都の医者がやりとりした手紙を読むと、互いに協力関係を築いてより良い医療を目指していたことがわかります。医学塾に入った塾生の日記からは、塾生どうしが互いに切磋琢磨して真剣に日本の医療、日本の将来を考えていたことが知られます。厳しい学業の合間に上手に息抜きをしている様子や、漢詩文などの文学の素養も身につけなくてはならなかったことも記されており、当時の医者や医学生がどのように学び考え、医療をとりまく環境がどのようなものであったかを具体的にうかがうことができます。私たちにはまだまだ知らない歴史があり、古文書や古記録を読むことでそれを明らかにすることができるのです。

染草屋の裁判記録(本学所蔵)

 今でも新たな古文書が見つかることは珍しいことではありません。しかし、価値が十分理解されなかったり、不要と判断されていれば、捨てられていてもおかしくなかったはずです。ひょっとすると失われていたかもしれない古文書や古記録。それがそこにあるということには大きな意味、歴史の重みがあります。歴史の変転をくぐり抜けて現在に伝えられているモノからのメッセージを、私たちは謙虚に聞き取らなくてはなりません。

 そのためには、現場に足を運び、モノが語りかける「声」に耳を傾ける必要があります。本学のある京都やその周辺は多くの歴史遺産に恵まれ、歴史と文化を身近に感じることができる地域です。そのなかでさまざまな実物に触れながら専門知識を身につけ、長い歴史のなかで先人たちが作り上げてきた遺産の数々を、実物と文字史料の両面から研究できることは大きな魅力となるでしょう。どのような社会環境のなかで、作り手は何を考え、どのように作ったのか。そしてそれが後世にどのような影響を与えたのか。モノが生み出された背景を深く考えることによって、それがもつ歴史的意義を明らかにしていくことが大切です。

 ただそれは、単なる印象に基づくものであってはなりません。なぜそのように言えるのか、史料を読み込み、モノを十分に理解した上で、自分の考えをまとめる思考力をつけることが求められます。歴史を知り、視野を広げ、より深く世界を知ることは、自分を豊かにすることにもつながります。そして、過去からつながる「今」と、進むべきその先を考える力を身につけていくことにもなるでしょう。歴史遺産を学ぶことを通じて、人間としても大きく成長して欲しいと願っています。

 


PROFILE

有坂道子  ありさか みちこ 京都橘大学文学部歴史遺産学科教授
京都大学大学院文学研究科博士後期課程。文学修士。専門は日本近世文化史。主な著書に『京都小石家来簡集』(思文閣出版、2017年共著)、「幕末京都における医家と医療」(『医療の社会史 — 生・老・病・死』思文閣出版、2013 年共著)、「近世の文人と異国」(『異文化交流史の再検討一日本近代の〈経験〉とその周辺』平凡社、2011年共著)、「都市文人」(『知識と学問をになう人びと』吉川弘文館、2007 年共著)。



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