南健太郎

水・陸から挑む
考古遺産の継承


南健太郎  京都橘大学文学部歴史遺産学科准教授

考古遺産が描くもの

 「遺跡」と聞いて皆さんがイメージするのはどのようなものでしょうか。貝塚、古墳、都、お城など様々なものが思い浮かぶのではないでしょうか。これ以外にも集落、お寺、道路などいろいろな種類の遺跡があり、このような過去の人々が地上に残した痕跡を「考古遺産」と呼んでいます。私たちは常に考古遺産に囲まれて生活していると言っても過言ではありません。私はこれらがどのようにして作られ、そこでどのような営みがなされ、どのように廃絶したのかを考古学の手法で研究することを専門としています。そして、そこから我々のルーツに迫り、現在の生活が作りあげられてきた過程を明らかにし、さらにこれからどのような社会を目指していくべきかのヒントを見出すことに注力しています。

琵琶湖岸の水中遺跡
滋賀県大津市坂本城跡。中央右の琵琶湖に突き出した桟橋から左斜め下方向に抜けて、坂本城跡の石垣が湖底に沈んでいる。

水中遺跡への挑戦

 世界各地には有名、無名を問わず遺跡はたくさんあります。このような遺跡の中でも近年注目を集めているのが水中に存在する遺跡です。日本では遺跡に関する法律として文化財保護法があります。制定された1950年(昭和25年)当初は水中遺跡に関する言及はありませんでしたが、1954年(昭和29年)の改正の際の通知では「従来埋蔵文化財とは、地下、水底その他の人目に触れ得ない状態において埋蔵されている有形文化財をいう」とされ、さらに1959年(昭和34年)の通知では「漂流物あるいは沈没品であって社会通念上も埋蔵文化財と認められるものについては、水難救助法(第五九条~第六五条)の規定によらず、遺失物法(第一三条)ならびに文化財保護法(第五九条~第六五条)による処理をすることが適当」と述べられています。

 日本の考古学研究では水中遺跡への関心は高いものではありませんでしたが、2022年(令和4年)には文化庁から『水中遺跡ハンドブック』が刊行され、徐々にその存在がクローズアップされるようになってきています。とは言っても、日本で把握されている水中遺跡はわずか387遺跡です。これは日本のすべての遺跡数の0.1%にも満たないものです。しかしこれは水中遺跡の存在の割合を正確に示しているものとは言えません。水中遺跡はこれまで陸上の遺跡に比べて圧倒的に調査件数が少なく、詳細な遺跡分布調査も行われていないところが多いという問題があります。このため、今も人知れず水中に沈んでいる遺跡がたくさんあると考えられ、水中遺跡の数はもっとたくさんあると言えるでしょう。日本は海に囲まれおり、海岸線の総延長は世界で6番目を誇ります。また、海に接していない地域でも湖や川、池は至る所に存在します。現在まで日本に住んできた人々の生活はこのような水資源と共にあったということもできるでしょう。その意味で水中遺跡の把握、研究は日本の歴史を復元するにあたって、重要な意味を持っていると言えます。

湖底でみつかった坂本城跡の石群
潜水調査によってこれまで知られていなかった場所で列状に並んだ石群を確認。この他にも未知の構造物が水中でみつかるかもしれない。

 私の遺跡調査デビューは琵琶湖の湖岸に位置する、まさに水中遺跡でした。このような考古学者はあまりいませんが、その時の経験は今も忘れられません。眼前には琵琶湖しかなく、目視では遺跡と認識できない状況でしたが、水中地形を測る測量調査、潜水調査による遺構、遺物の探索によって、水中に眠っていた過去の人々の営みを具体的に描き出すことができるようになったのです。このような感動にも似た感覚は今も変わりません。水辺での分布調査、地形測量、スノーケリングやダイビングによる潜水調査、ドローンなどを用いた空中からのアプローチによって、これまでベールに包まれていた人と水資源との関りの歴史を明らかにすることに日々チャレンジしています。そしてこのことは水資源の利用や水辺環境の保全といった人々の生活に関する持続的な課題と向き合う際に役立つのではないかと思っています。

水中遺跡へのアプローチ
水中遺跡の性格を考えるうえで地形の把握は欠かせない。測量調査で地形を図化し、遺跡の形成要因を探る。

人々を魅了する遺跡 ーお城の調査からー

 水中遺跡と同じく陸上の遺跡でも多くの感動に出会えます。世界遺産に登録された遺跡には多くの人々が見学に訪れますし、遺跡調査の現地説明会にもたくさんの方々が参加されています。遺跡に行くと、過去の人々が創造した構築物、土器や瓦を焼いた窯跡、生活した建物跡、さらには実際に踏みしめた地面などさまざまな痕跡の上に立つことができるのです。この瞬間感じるのは悠久の歴史に思いを馳せるロマンであり、多くの人々がそこに魅力を感じるのではないでしょうか。私も遺跡に魅了された者の一人です。私は最近お城の研究を進めており、滋賀県大津市に所在する坂本城跡や宇佐山城跡の調査を行っています。これらのお城は織田信長の家臣団によって築かれた城で、坂本城跡は明智光秀、宇佐山城は森可成が城主でした。お城を調査すると、城門に至る大手道、敵の侵入を拒んだ堀、そびえたつ石垣、建物の基礎となった礎石、建物に葺かれた瓦、そこで使用された食器や調理具など、様々な人の息吹が感じられます。調査では歴史に名を遺す武将がくぐったであろう城門、当時の職人集団が築いた石垣、お城が取り壊された時の散らばった石の図面を作成し、そこから当時のお城の姿や城づくりに携わった人々の技術、取り壊しの方法などを検討し、それぞれの意図や背景について考察します。お城に残されたわずかな痕跡が歴史的な真実を解き明かす鍵になるかもしれないので、調査は毎日気が抜けません。しかしその緊張感がよい成果を引き寄せるのではないかと思っています。

お城の構造を探る
滋賀県大津市宇佐山城ではお城の虎口(出入り口)が良好に残っている。測量調査で構造を把握することで、築城者の設計意図を読み解く。

 このような遺跡の調査は世界中で絶えず行われており、文系・理系の方法を駆使した研究も日々進化しています。これらによる新発見によって歴史が塗り替えられることも珍しくありません。考古学を専門にしていると、自分自身がそれに立ち会う可能性というものが絶えずあります。そこに至るにはしっかりとした遺跡の調査、関連資料の収集、モノの観察といったベースが必要で、これらに基づいて実証的に歴史を復元する。この時に初めて遺跡の魅力が開花し、さらに多くの人々を惹きつける存在となることでしょう。

考古遺産を学び、未来へと継承する

 考古遺産を含む歴史的な資料は人類の財産です。私は水中、陸上に存在する遺跡の調査・研究を通じて、このような歴史的な遺産を愛する、大切にすることのできる人材の育成を目指しています。どれだけ素晴らしい潜在的な価値をもつ遺跡でも、それをしっかりと調査できなければ魅力は減ってしまいます。また社会への発信力がなければ、多くの人にそれを知ってもらうことはできません。そしてそれを将来残していくことができなければ、遺産の魅力、価値は無きものになってしまいます。歴史遺産を残し、伝えていくために重要なのは、専門家の力だけではなく、そこで遺産に囲まれて生活する人々の思いだと私は考えています。考古遺産を学ぶことで、それらを継承する一員になってほしい。これが私の目標とするところです。



PROFILE

南健太郎  みなみ けんたろう 京都橘大学文学部歴史遺産学科准教授
熊本大学大学院社会文化科学研究科歴史学専攻。博士(文学)。専門は東アジア考古学。主な著書に『吉備の弥生時代』(吉備人出版、2016年編著)、『銅鐸の使用痕分析による弥生時代祭祀構造の再構築』(岡山大学埋蔵文化財調査研究センター、2018年単著)、『東アジアの銅鏡と弥生社会』(同成社、2019年単著)、『銅鏡から読み解く2~4世紀の東アジア』(勉誠出版、2019年共編著)などがある。



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