山辺規子

歴史はおもしろい


山辺規子  京都橘大学文学部歴史学科教授

歴史学は暗記物?

 歴史学というと、よく暗記物といわれます。学校で勉強した時も、テストのためにとにかく覚えなければならないことを、語呂合わせをしたりして覚えようとするけれど、テストが終わると完全に忘れてしまうイヤな科目だと言われたりします。歴史嫌いになる理由の多くはそこにあるようです。だから、覚えなければならないことを減らす傾向にあります。たしかに、覚える意味がわからないことを覚えようとするのはきついでしょう。むりやりテストまでの間だけ覚えるということがまちがいです。
 一方、覚えなければならない事項の数を減らすと、どういう意味があって知っておくべきなのか、ということもわからず、よけいに苦痛の種になるのではないでしょうか。ただ重要だから、というのではなく、自分で意味があると感じれば、知っておこうとするのではないでしょうか。
 たとえば、好きなゲームのキャラが中世の物語の主人公をモデルとしているのであれば、どんな主人公なのだろうか、どこでどんなふうに誕生したのだろうか、ということを知ってみたいと思うのではないでしょうか。あまりに簡単に特徴をまとめると、知りたいというきっかけを失うのではないでしょうか。
 歴史的なこともまた同じように、どうしてこんなものができたのだろう。これはいつごろ、どんなきっかけでできたのだろう。この人はどんな時代に生きた人なのだろう。問いかけをする気になれば、みなさんのまわりには、いろいろな素材があふれています。自分で知ろうと思って知ったことは、「暗記した」とは言わないと思います。自分が理解するために知ろうと思えば、その世界は無限大に広がります。がんばってもわからないこともありますが、それでも調べていった経験は身についていきます。その楽しさ、意味を味わってもらいたいと思います。

ヴェネツィア 海上からみたサンマルコ小広場方面。正面がドゥカーレ宮殿(撮影 山辺規子)

概論をうのみにするのは危険

イタリア国立ボローニャ文書館の諸文書。通常は文書保管庫には入れないが、見学会に参加した時に撮影した。(撮影 山辺規子)

 たとえば、私が最初に取り組んだのは11〜12世紀に北フランスから南イタリアにやってきたノルマン人がシチリア王国を建設する歴史ですが、このノルマン人は、南イタリアの人たちにとって「北の人」つまり、ノースマンであったのであって、北欧のヴァイキングではありませんが、簡単に説明するときには、しばしばヴァイキングと同一視され、いかにも船をあやつるのがうまかったと思われがちです。

 この時代のヨーロッパといえば、身分制社会で皇帝が世俗の最高権威とされ、キリスト教会ではローマ教皇が絶大な力を持っていて破門は社会からの追放を意味したとまとめられることが多いのですが、このシチリア王国を建設することになるノルマン人は下級騎士の出身で、しかも東のコンスタンティノープルの皇帝とも西の神聖ローマ帝国の皇帝とも戦い、どちらの皇帝からも恐れられていました。ローマ教皇からは、繰り返し破門されましたが、ローマ教皇を捕えて、自分たちの要求を認めさせます。しかも、ここで建設されたシチリア王国の王号はその後数百年にわたって、イタリアにおける重要な王号として扱われることになるのです。簡単な図式では説明がつきません。というより、この場合には簡単な図式だけで理解したつもりになると、実態とはかけ離れることになります。

ポンペイの居酒屋(撮影 山辺規子)

自分の関心を大事にして

山辺規子『ノルマン騎士の地中海興亡史』
2009年 白水社 Uブックス

 このノルマン人によるシチリア王国について、高山博氏は王国において在地のラテン系の文化だけでなくイスラーム・ギリシアの文化が並存したことに注目する著名な研究をしていますが、その研究は文化の並存が特徴的に表れるシチリア島に集中させています。同じ王国を扱うとしても問題関心のありかたしだいで、いろいろな研究がありえます。

 つまり、自分が歴史的に興味をもったことについて、さまざまな研究を踏まえて利用するべき史料を確認しながら、自分なりに考えるのです。これが歴史学研究です。その理解のためには、地名や人名も知っておく必要に迫られるでしょうし、使われている歴史的用語が何を意味するのかについても考えることになります。ただの丸暗記事項ではなく、自分で考えて使うための知識にするのです。このようにして身につけた知識は、さらにいろいろな世界が広がっていることを教えてくれます。

研究テーマは広がる

 研究テーマも広がっています。たしかに、歴史研究では、政治、支配などの問題がよく取り上げられますし、世界史のように、あまり知られていない地域や時代について考えようとすれば、まず、政治の流れを確認しておくことは必要でしょう。それだけではありません。長期的視野で歴史を考えようとする場合には、たとえば気候の変化なども重要なファクターになってきます。たとえば、最近で注目されている食文化史では、土壌、植生(植物)や動物の生息状態、降水量などの自然環境はもちろん、地域の慣習、民族、宗教、他の地域との交流など、考慮すべきファクターはたくさんあります。もちろん文字史料も使用しますが、文字史料でも、国家の公文書や会計文書など従来から史料として利用されてきたものだけでなく、個人の日記や料理書など、さらに最近では図像史料や音声データなど利用されるものが広がっています。

ロンドンに残る最古のコーヒーハウス
(1652年創業)のプレート(撮影 山辺規子)

 たとえば、コーヒーというと西洋世界のカフェのイメージが強いのではないかと思いますが、もともとはイスラーム世界が生み出したもので、16世紀から各地で流行の飲み物となります。ヨーロッパが受容すると、各地にカフェ(コーヒーハウス)がみられるようになりますが、ヨーロッパでは気候的にコーヒーを生産できないので、ヨーロッパ人は輸出用も含めて中南アメリカ、インドネシア、アフリカなどでコーヒーのプランテーション生産をします。日本でもまたコーヒーは大正時代のハイカラ文化の象徴の一つになります。20世紀になって、インスタント・コーヒーが製造されると、さらにコーヒーは多く飲まれるようになります。日本は、お茶の文化の世界に属しているように思われていますが、世界的にみると、お茶の消費量はそれほど大きくないのに対して、コーヒーの一人当たりの消費量は、世界的にトップクラスですし、ベトナムがコーヒーの大生産国になっているといったことも調べていくとわかります。コーヒーのようなものをテーマに選ぶと、グローバルな研究にもなりますし、日常の生活史として考えることができますし、まずは、意識してテーマを探してみることが大事です。テーマはなんでもかまいません。あなたが意識して考えてみたいことが、あなたのテーマです。私自身、研究を始めたころに研究対象とすることになるとは思わなかった食文化や中世大学、中世図像史料などを研究テーマにしてきましたが、これも関心の広がりによるものです。

 私は、歴史を勉強することは、いろいろな事象を多角的に意識してみるための方法の一つだと思います。歴史学の場合、時系列で考えられることはなんでも研究対象として考えることができます。これまで、あたりまえだと思っていたことが、時代と場所が違えばそうではない経験は、やわらかい思考を可能にしてくれるでしょう。

 

推薦図書

◉『イタリア史のフロンティア』イタリア史研究会編 昭和堂 2022年
 イタリア史研究者が専門研究の最前線をわかりやすく示す。

◉『食の世界史』南 直人  昭和堂 2021年
 食文化や食の歴史研究の基礎的な知識を解説しながら、食という視点から世界史を考える。

◉『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』堀越宏一・甚野尚志編  ミネルヴァ書房 2013年
 中世ヨーロッパを、宗教、政治経済から衣食住や芸術など、さまざまなテーマで読み解く。



PROFILE

山辺規子  やまべ のりこ 京都橘大学文学部歴史学科教授
京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。文学修士。専門は、イタリア中世史、食文化史。主な著書、編著(共編含む)として『ノルマン騎士の地中海興亡史』(白水社 Uブックス 2009年)、『大学で学ぶ西洋史(古代・中世編)」(ミネルヴァ書房 2006年)、『イタリア都市社会史入門』(昭和堂、2008年)、『地中海ヨーロッパ』(朝倉書店 2010年)、『食の文化フォーラム35甘みの文化』(ドメス出版 2017年)、『甘葛煎再現プロジェクト―よみがえる古代の甘味料』(かもがわ出版 2017年)などがある。



page top