山田宏

過去を知り
未来を創造する


山田宏  京都橘大学文学部歴史遺産学科教授

 歴史遺産研究における対象物にはさまざまなものがありますが、それはすべて人の営みの中から作られます。そのため造形物には、作った人の思いや作られた時代背景が刻み込まれていると言っても過言ではありません。そのような対象物自体から伝えられてくる情報を出来るだけ感じ取り、論理的に考察することによって作られた意味が浮かび上がってくるのです。授業では建造物を主な題材とし、それに関わる文献や美術工芸品などのすべてを考察対象とし、既に文化財となっているものから将来文化財になると思われるものまでを扱います。そのうえで、人々が作り出した造形物の本質的な価値を見抜いて大切にしていく力をつけていただきたいと思います。

※歴史遺産分野では「作る」と「造る」を対象によって厳密に使い分けます。皆さんも本稿でどのように使い分けているか注意深く読んでみてください。

それでは実際にいくつかの例をあげて話を進めてみましょう。

1.制作方法から時代背景を読む ― 奈良時代の鴟尾と鎌倉時代の鴟尾

左:唐招提寺金堂 西鴟尾(奈良時代) 右:唐招提寺金堂 東鴟尾(鎌倉時代) 写真提供:奈良県文化財保存事務所

 古代寺院の屋根には鴟尾がのせられていましたが、古代から現代まで実際に使われていたものがあります。それは奈良市に所在する唐招提寺金堂の屋根にのっていた鴟尾です。金堂正面に向かって左側、屋根の西側にのっていた鴟尾は奈良時代に造られたと考えられ、同じく右側、屋根の東側の鴟尾は鎌倉時代の年号である元亨三年(1323)のヘラ掻きがあったため制作年代がはっきりとわかりました。このように唐招提寺金堂では屋根の上に異なった時代の鴟尾がのっていたのですが、新しい東側の鴟尾は鎌倉時代におこなわれた金堂修理の際に元々あった鴟尾が傷んでいたため造り替えられたと考えられます。しかし東側の鴟尾は古い西側の鴟尾に倣って造ってはいますが、形は似ていてもその制作概念がまったく異なっています。その理由の一つ目として、鴟尾の制作が平安時代には廃れてきて制作方法等が鎌倉時代に伝わっていなかったと思われること、二つ目には鎌倉から室町時代で瓦(窯業製品)制作技術が一つのピークを迎えていたことが挙げられます。

 さて、皆さんはこの二つの写真をみて「鴟尾とは何か」「何でこの位置にあるのか」「制作概念の違いとは」と興味が湧いてきませんか。現在この二つの鴟尾は平成の金堂修理後に屋根から降ろされて、唐招提寺の新宝蔵(閉館期間あり)に展示されているので間近にみることが出来ます。是非実物をみて造った人々の思いを感じてください。

2.時代の変化による設計思想の変化 ― 近代日本の住宅における庭

青田七六 (台湾台北市)

 住宅は皆さんが一番身近に感じる建築でしょう。最近の都心部で建設される住宅は、昔ながらの木造からマンションのようなコンクリート造や鉄骨造に変わってきています。その理由は、工業技術の進歩、社会制度や経済活動の変化、それに伴う日本人の生活への考え方の変化が相互に影響し合ったことにあると言えましょう。では、具体的にどのような社会的変動が要因で日本人の生活様式が変化して来たのでしょうか。まずは現代日本の生活様式に近い形へと変化した時をみてみましょう。

 英国では18世紀に産業革命が起こり、各国で近代化が進み始めます。日本ではちょうど江戸幕府から明治政府へと大きな体制の変化が起こっている時期ですが、このとき明治政府が日本を近代国家へと新生させるために、欧米の考え方や技術導入を推進しました。それにより日本に当時の欧米的家族の考え方が持ち込まれ、それに基づいた住宅が建てられていきました。それまでの家父長制度的思考から脱し、新しい住宅は子供を含めた個人を尊重するファミリーという概念で設計されており、その特徴は家族団欒の部屋を中心に庭との繋がりを持たせた上で開かれた心地よい空間にすることでした。そして庭の存在が、今までの客人をもてなすための「みる」「みせる」場から家族とその友人が楽しめる憩いの場へと変わったのです。また同時に部屋と庭を結ぶ空間としてテラスやパーゴラも設置され、新しい庭の一つの完成形が出来上がっていきました。

 残念ながら現在では、そのような昭和初期まで時代の最先端であった住宅と庭の多くは建て替えられ、むしろ日本より台湾にその残照をみることが出来ます。皆さんと一緒に台湾に残る日式住宅を観察しながら、我々の生活に一番身近な住宅建築と庭が現代ではどのように設計されていて、将来はどの様になるのかを考えられたら面白いですね。

3.新しく造られるものに込められた意味 ― 建築の表現内容とその方法

Sanctuary of Truth (Thailand)

 サンクチュアリ オブ トゥルースはタイ王国の中部チョンブリー県に所在し、1981年から建設が始まりながらもすでに44年近く経った現在も完成していません。外観は一見タイの仏教寺院にみえますが、この建物は特定の宗教施設ではなく個人の意思で造り始められた建築です。地元ではタイ語でプラサート(城)と言われており、むしろ博物館に近い建物といえます。この建築の特徴は、すべてチーク材などの木材だけで造られ、内外ともに装飾彫刻で覆われていることです。これは、タイにおける木造建築の施工技術とともに木彫技術の保存と継承を目的としているためです。また木造であるために傷みが生じて補修や造り替えをおこなわなくてはならない場合もありますが、むしろそれが悪いことではなく壊れて造り直すことがこの建築の建設理念を表しており、通常我々が考える建築とまったく異なる存在意義を有しているのです。すなわち、建築というより創作物、または表現物という方が当を得ているかも知れません。そして装飾彫刻は色々な説話を題材に彫られており、仏教、ヒンドゥー教、儒教など多種多様な宗教の造形作品が混在しています。ただ、いずれの説話も一貫して「人はどのように生きていくのか」、「人生の目標は何か」という問いかけに通じる内容で、それを彫像や各宗教の装飾で表現しているのです。

 以上のような意味で、サンクチュアリ オブ トゥルースは建築というよりは創作物、表現物であり、正に実物を前にすると建設理念の哲学的な意味を考えるよりも人の手で造られたことによるエネルギッシュで圧倒的なパワーに只々驚かされるのです。現在も建設中のこの建築から、皆さんはいかなる価値を見いだすのでしょうか。

推薦図書

◉『タイ謎解き町めぐり 華人廟から都市の出自を知る』桑野淳一 彩流社 2017年

◉『インド建築案内』神谷武夫  TOTO出版 1996年

◉『黄金分割 ピラミッドからル・コルビュジェまで』柳亮  美術出版社 1965年(新装版:2014年)


PROFILE

山田宏  やまだ ひろし 京都橘大学文学部歴史遺産学科教授
東京芸術大学大学院美術研究科 保存修復技術建築専攻 専門は文化財建造物保存修理 奈良県教育委員会文化財保存課・保存事務所、兵庫県教育委員会社会教育・文化財課等で文化財建造物の調査・修理及び保護行政に携わった後、国立台湾師範大学客座教授として台湾に赴任し文化財建造物の修理助言と教育に従事。アジア各国の宗教建築と遺跡の調査も行っている。



page top