杉山隆一

墓廟から見た
イラン・イスラーム史


杉山隆一  京都橘大学文学部歴史学科准教授

墓廟を研究する意義

 私は大学院博士課程進学以降、主としてイラン地域のシーア派聖廟・墓廟をテーマとして研究を続けています。死者を追悼する場である墓地・墓廟の研究の具体的な意義とは何か、疑問に持たれる方も少なからずいるでしょう。生命の終わりである死、そして死者の埋葬地となる墓廟・墓地はある種のタブーとされるものであり、研究の対象としてはどうしてもイメージが湧きにくい所があるように思います。

 死者への追悼や墓廟・墓地が持つ意義についてはすでに様々な研究があります。死者に対する追悼は、時に宗教信仰の一部に組み込まれる形で救済や鎮魂に関連付けられます。そして、その死者を埋葬する墓廟は信徒の参詣の対象として発展をとげる事例も見られます。また、死没者への追悼行為と墓地・墓廟は、家族にはじまり、地域/宗教共同体、さらには国民国家の歴史・記憶の一端を保持し、被葬者を顕彰する機能も担う場合もあります。例えば、我が国では死者を弔うために神として祀り、神社を建立する風習が第二次世界大戦前まで見られました。大宰府天満宮、豊国神社、東照宮、平安神宮、乃木神社、東郷神社などはその代表例と言えるでしょう。近代以後においては、第二次世界大戦の戦没者追悼のあり方をめぐり、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者霊園の存在意義を問う議論は盛んにおこなわれています。国外を見渡せば、イエスがエルサレムにおいて十字架に磔となったとされる場所は聖墳墓教会としてキリスト教の重要な聖地となっています。また、米国のアーリントン墓地のような国家の存続のために犠牲となった人々の墓地は各国に見られます。死者への追悼とその墓地・墓廟は、人々の救済から支配権力や国民国家の共通の記憶の創出まで、実に多様な役割を担ってきたのです。

イマームレザー廟(イラン ・イスラーム共和国 マシュハド)
毎日昼夜問わず大勢の参詣者が訪れ、被葬者レザーに哀悼の意を表し、願掛けを行う聖地である。

イスラームにおける死者の追悼と墓廟

 イスラームでの死者の追悼や墓廟はどのような形態をとっているのでしょうか。イスラームでは、預言者ムハンマドが唯一神への信仰を唱えたため、元来お墓の建設と参詣行為は逸脱とされていました(今でもこの考えを支持している人はいます)。しかし、死者への哀悼の念はイスラーム教徒の心情の中にも強く見られたがゆえに、こうした考えは一部において徐々に覆されていきます。墓廟の建立と参詣慣行の拡大の契機をつくったのは、イスラームの分派のシーア派だと言われています。シーア派はムハンマドの没後、その従弟アリーと彼の妻でムハンマドの娘ファーティマの子孫が信徒共同体のイマーム(指導者)にふさわしいと主張した信徒の集団です。同派第三代イマームであるフサインは、680年に「カルバラーの悲劇」と称されるウマイヤ朝との戦いで非業の死を遂げます。ウマイヤ朝の圧政を批判しその大軍に戦いを挑んだ彼の死を同派の信徒は深く悲しみ、哀悼の意を表するために殉教地であるカルバラー(現在のイラク南部)に墓廟を建設しました。その後イスラーム圏では墓廟の建設がシーア派のみならずスンナ派の間にも拡大し、さらには有力者の墓廟参詣の慣行も徐々に確立していきます。

 当初は逸脱的行為とされた墓廟の建設と参詣ですが、その拡大を目の当たりにした一部のイスラーム法学者が、墓廟は被葬者が天上の神と信徒をつなぎ、信徒の現世・来世に関する願いを神に執り成して叶える場であるという考えを打ち出し、こうした宗教実践を追認して正当化していきます。墓廟が信徒の注目をさらに集めるようになると、政治権力者らが墓廟に支援を行って自らのイスラームへの深い帰依と宗教の庇護者としての態度を表明すれば、信徒の支持と支配の安定が得られると考えるようになります。支配権力者らのこうした態度が墓廟の飛躍的な発展を促すひとつの契機となるのです。

イマーム・レザー廟(イラン・イスラーム共和国マシュハド)
廟の広場の一角。同廟は年間約2000万人もの参詣者が訪れるシーア派の聖地となっている。

私の研究・シーア派第八代イマーム・レザーの廟の歴史的発展と現在

 私が主に研究対象としているのは、現在のイラン・イスラーム共和国北東部の都市マシュハドに位置するシーア派第八代イマーム・レザー(818年没)の廟です。このレザー廟は今に至るまで1200年を超える長い歴史を有していますが、本格的な発展を遂げていくのは16世紀に同地域に誕生し、シーア派を公式の宗教としたサファヴィー朝(1501~1736年)以降のことです。同廟はイラン地域における唯一のシーア派イマーム廟であったがゆえに、地域に誕生した歴代の王朝・政権が同廟への手厚い庇護政策を進めていきます。王族や支配エリートらは、廟建築の壮麗化と敷地の拡張、運営組織の整備、さらに宗教寄進(ワクフ)による廟の経済基盤の強化など、さまざまな手法で同廟の発展を促してきました。加えて、同廟が被葬者レザーの執り成しによって現世・来世利益を得られる救済の場であるという言説を流布させ、信徒の注目を同廟に向けさせる試みを進めます。レザー廟はイラン地域におけるシーア派の拡大を背景に飛躍的な発展を遂げていきます。
 20世紀以降、レザー廟はイランの国民国家、政教一致体制の維持発展に利用されていきます。敷地内への国体維持のために命を落とした人の埋葬、国家経済発展のための廟の宗教寄進財の活用、さらにシーア派の宗教宣伝といった多様な活動により、廟は現在のイランの支配体制を宗教や経済面で支える重要な役割を果たしているのです。

 私自身の研究としては、今後、近代以降の同国における政治と宗教の関係を聖地・聖廟の視点から明らかにしていく作業を主に進めていきたいと考えています。そのために、近代における国民国家イランの形成過程の中でのレザー廟の役割の変容、さらには同国内の他の聖地・聖廟の発展と拡大をテーマとして扱っていく予定です。

 

推薦図書

◉『イスラーム巡礼』坂本 勉 岩波新書 岩波書店 2000年
 イスラームの聖地メッカ巡礼につき、その歴史や儀礼、近代における変容などを多角的に検討した書籍。

◉『シーア派 台頭するイスラーム少数派』桜井啓子 中公新書 中央公論新社 2006年
 イスラーム最大の分派シーア派の概説書。同派の宗教儀礼についての言及もある。

◉『エジプト死者の街と聖墓参詣 ムスリムと非ムスリムのエジプト社会史』大稔哲也 山川出版社 2018年
 中世エジプトの聖墓をテーマに参詣慣行など墓廟をめぐる多様な問題を論じた重厚な研究書。


PROFILE

杉山隆一  すぎやま りゅういち  京都橘大学文学部歴史学科准教授
慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程修了。博士(史学)。専門はイラン史・イラン地域研究。主な著書・論文として、『革命後イランにおける映画と社会』早稲田大学イスラーム地域研究機構、2014年(共編著)/「アフシャール朝期のイマーム・レザー廟-『アリー・シャーの巻物』から見る18世紀イランにおけるイマーム廟の組織と運営(Ⅰ・Ⅱ)-」『東洋文化研究所紀要』177・178冊、2021-2022年(単著)などがある。



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