野田泰三

土豪を探す


野田泰三  京都橘大学文学部歴史学科教授

土豪・地侍とは?

 「土豪」「地侍」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?室町・戦国時代に台頭してくる新興の武士のことです。もともとは荘園村落に基盤を持つ有力農民で、15世紀半ば以降に侍身分を獲得して武士となります。村の運営に携わるとともに、ときに大名や大名家臣の被官となり、地域支配の一翼を担ったり戦場に出たりします。江戸時代にはまた帰農して庄屋・大庄屋をつとめることも多く、地味な存在ではあるのですが、戦国から江戸時代の歴史を考えるうえで意外に重要な存在です。
 私は室町・戦国時代の京都周辺の政治史を研究していますが、16世紀になるとそれまであまり目にしなかった姓の武士が多数登場することが気になっていました。
 掲載した文書【挿図1】は、1550年頃に今村慶満・四手井家保・寒河運秀・渡辺勝・小泉秀次・中沢継綱・物集女国光の7名が、勝龍寺城(京都府長岡京市)の普請(造営工事)に協力するよう、連名で東寺に通達したものです。いずれも京都郊外の村に館を構える三好長慶傘下の武士で、多くが15世紀末以降に登場する土豪です。

【挿図1】今村慶満等連署書状(東寺百合文書い函) 京都府立京都学・歴彩館蔵

洛西の土豪中路氏

 私が土豪について研究するようになったきっかけは、以前勤めていた大学が近くの旧家から古典籍の寄贈を受けた際、ご当主が「うちはもと三好長慶の家来で、合戦で城を焼かれた」とおっしゃったことです。ほんまかいな?と思って調べてみると、公家山科言継の日記にたしかに出てくるのです(『言継卿記』天文21年11月28日条)。この旧家が洛西の郡村(京都市右京区西京極)で代々庄屋をつとめてこられた中路家でした。
 中路氏は研究史上ほぼ無名の存在ですが、調べてみると、『言継卿記』はじめ東寺や松尾大社の古文書に結構登場します。中路氏は郡村のほかに桂川の対岸の下桂にも居住しており、いずれの中路氏も15世紀末に武士化していることがわかりました【挿図2】。郡村と下桂それぞれで同名中(一族組織)を形成し、松尾社に高額の寄進をしたり近隣荘園の代官をつとめるなど、相応の財力を持つ有力者です。桂川を挟んだ村々で用水相論が起こった際にはそれぞれの村の代表をつとめる一方、細川高国・同晴元・三好長慶らときの権力者のもとで地域支配の一翼を担っていたことが確認されます。

【挿図2】「最勝光院方引付」明応6年8月13日条(東寺百合文書け函) 京都府立京都学・歴彩館蔵
     右頁3行目に「郡ノ次郎左衛門 今号中路云々」とみえる

織豊期から近世初頭の動向

 気になったのは、このあと織豊期から近世に至る激動の時代を土豪たちはどのように生きたのか、という点です。必ずしも私の専門の時代ではないのですが、もう少し調べてみることにしました。
 明智光秀に仕えた中路氏がいたことが確認できるのですが、郡村や下桂からほど近い勝龍寺城は織田信長によって細川藤孝(幽斎)に与えられますから、ひょっとして細川家にも仕えたのでは?と考えて、細川家の近世文書を調べることにしました。近世には熊本藩主であった細川家の古文書や記録は熊本大学附属図書館に寄託されています。そこで、細川家に伝来した古文書や美術品を所蔵・管理する公益財団法人永青文庫の許可をいただき、熊本大学に赴いて調査をしました。
 結果、細川家中の系譜書や侍帳のいくつかに中路氏の名前を確認することが出来ました。それらとは別に「中路家先祖ノ事」という帳面も見つけました!調査をしていると、ときにこのような、願ってもない史料との邂逅(出会い)があります。
 「中路家先祖ノ事」には下桂出身の中路次郎左衛門家の歴史が記されています。初代次郎左衛門は三好長慶の重臣松永久秀に仕え、織田政権下で久秀が滅亡した後に、丹後国主であった細川藤孝・忠興父子に仕官します。豊臣秀吉の小田原攻めや朝鮮出兵、その後の関ヶ原合戦にも参加しました。忠興にはその武勇と人柄を愛されたようで、関ヶ原合戦後に九州に転封となった細川忠興のもとでは御者頭役(足軽大将)をつとめ二千石を知行しました。京郊農村出身の一土豪が二千石取りの足軽大将に出頭するなど、まさに戦国乱世ならではの立身出世物語です。

土豪の近世

 この次郎左衛門の家系は幕末まで熊本藩士として続きますが、近世になると武士として大名奉公を続けるもの、帰農して地元の下桂や郡村で庄屋役をつとめるものなど、中路一族でもそのたどった道は様々です。荘園村落に出自を持つ土豪にとって、先祖伝来の屋敷田畠を維持することがなによりも重要で、本家は帰農して百姓身分となり、庶家(分家)は武家奉公を続けるという事例が広く確認されます。帰農した場合も、もともと村の有力者ですから、庄屋や大庄屋をつとめ、近世を通じて村政運営に携わるというケースも多いのです。

より豊かな地域史・歴史像構築のために

 このように、一見泥臭いイメージのある土豪・地侍ですが、戦国時代から江戸時代の歴史のなかで重要な役割を果たすことになります。今後土豪の研究が進めば、より豊かな地域史や歴史像が描けるようになるに違いありません。これからも色々な土豪の歴史をたどってみたいと思います。
  また自身が専門とする時代・領域から時には足を踏み出してみたり、各地へ史料調査に赴くことで見えてくることも沢山あります。こうしたことも歴史研究の醍醐味だと思うのです。

 

PROFILE

野田泰三  のだ たいぞう  京都橘大学文学部歴史学科教授
京都大学大学院文学研究科博士後期課程(国史学専攻)。修士(文学)。専門は日本中世史。主な著書に、『京都を学ぶ【洛西編】』(ナカニシヤ出版、2020年、共著)、『古文書への招待』 (勉誠出版、2021年、共著)、『中世後期の守護と文書システム』 (思文閣出版、2022年、共著)などがある。



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