後藤敦史

とことん「好き」を
つきつめる


後藤敦史  京都橘大学文学部歴史学科准教授

 小学生の頃、社会の授業が大好きでした。中学生になっても、それは変わらず、社会の授業で学ぶ地理も歴史も公民も、どれも好きでした。今になってふり返ると、「自分が生きているこの社会は、なんなのか」ということに、強い関心があったのだと思います。
 高校生の頃からは、とくに歴史が好きになりました。これもまた、今になってふり返ると、「過去からどのような経緯があって、現在が成り立っているのだろうか」ということが気になるようになったのだと思います。
 そして大学では、迷わず歴史学を専攻しました。世界史も日本史も好きでしたが、自分が暮らしている日本のことを知りたい、という思いもあり、日本史を専門的に学びました。また、現在がどう成り立ってきたのか、という関心から、現在に近い近現代史のゼミに所属をしました。大学4年生になっても、まだまだ歴史を研究したいという思いで大学院に進み、ついに歴史の先生になりました。

世界史の中の幕末日本、および京都・大阪

 私は日本史の中でも、幕末の歴史を専門にしています。幕末史を研究するようになったのも、現在がどう成り立ってきたのか、という関心にもとづいています。大学生の頃、近現代の日本史について学ぶ中で、教科書などで近代史の起点とされる幕末に興味を持つようになりました。現在の成り立ちを知るには、近現代史の中でも、その初期から研究する必要がある、と(当時は)考えたのです(今ふりかえると、単純な考えだったと思います。現在の成り立ちを考えるためには、どの時代であっても、研究の重要性に変わりはありません)。いずれにしても、幕末史を研究すればするほど、その魅力にとりつかれていきました。
 私はこれまで、幕末の日本を様々な視点で捉え直す、という課題に取り組んできました。歴史学において、ある時代について検討を行う際には、「複数の視点」でその時代を見る、ということが重要です。たとえば、幕末の日本を研究するにしても、単純に「幕末の日本」だけを見ていては、研究が進みません。幕末の日本が置かれた世界の状況を俯瞰的に見る視点、日本の中のある地域が幕末にどう変化するのか、ということを見る視点、ある人物に着目して見る視点など、様々な視点が考えられます。
 こうしたことを意識しながら、①19世紀中頃の世界の中で、幕末の日本はどう位置づけられるのか、また②幕末において、京都や大阪がどう変化したのか、という2つのことを主に研究してきました。

アメリカ議会で示された太平洋蒸気船航路計画図(1848年)アメリカ議会図書館蔵 
太平洋を横断する蒸気船航路上の石炭補給地として日本を利用することが、ペリー艦隊派遣の大きな目的のひとつであった。

 具体的にご紹介すると、前者に関しては、測量、海図作製、という問題に注目して研究を進めてきました。19世紀には、欧米諸国がアジアに進出する中で、欧米の軍艦による海の調査も進められます。1853年に浦賀に来航したペリー艦隊も、日本との交渉だけではなく、まだ欧米側には知られていなかった日本近海の調査という任務を帯びていました。
 日本が開港をする、ということは、日本の海が、世界の海図の中に組み込まれる、ということでもありました。19世紀は、蒸気船の発明など、世界の交通事情が大きく変化した時代です。その背景には、欧米諸国による世界の海の把握という事態があり、日本開国も、その中に位置づけられるわけです。【注1】
 また、幕末の京都・大阪という点でいえば、私は1850年代から60年代にかけて大阪湾の各地に築造された台場(砲台)に注目して研究を進めています。幕末に外国船の来航が相次ぐ中で、幕府は江戸だけではなく、朝廷のある京都をどう守るのか、という課題にも直面します。幕府は京都を守るため、大阪湾の海防の強化を図り、台場を次々に築いていったわけです。
 今でもその台場の史跡は残っています。たとえば1858年の日米修好通商条約によって、兵庫は開港地と定められますが、その兵庫の近辺には、和田岬砲台(現神戸市兵庫区)や、西宮砲台(現西宮市)などが築かれます。これらは、1860年代に相次いで築かれた砲台の一部ですが、今も残るその堅固なかたちを見ると、幕末における幕府と朝廷との関係性が見えてきそうです。
 その一方で、台場の築造のために、周辺の地域の人々がかり出されたり、あるいはその砲台の守衛として様々な大名家が動員され、諸藩の藩士たちが駐留したりするようになります。砲台の築造は、その周辺地域に対し、確実に大きな影響を与えることになりました。【注2】

西宮砲台(撮影/後藤敦史)

学生の皆さんに願うこと

 これまでの自分の研究をふり返ると、私はとにかく自分が好きなこと、関心があることを、とことん追求(追究)してきたように思います。もちろん、「好き」だけではなんともならないこともあり、苦労したこともたくさんあります。それでも、今こうやって京都橘大学で、私と同じように歴史が好きだという学生さんたちと一緒に歴史を学ぶことができて、本当に幸せです。学生の皆さんにもぜひ、自分が好きだと思うこと、関心があることに、とことんチャレンジしてほしいと願っています。
 世界史の中に幕末の日本を位置づけよう、という研究課題においては、海外での史料調査が重要でした。2011年、当時所属していた大学院での若手研究者育成事業(OVCプログラム)のおかげで、2ヶ月という短期ですが、ワシントンDCで研究に没頭することができました。しかし、2ヶ月はあまりにあっという間でした。留学経験のない私にとっては、学生の頃に留学をしておけばよかった、というのが、学生時代をふり返っての後悔です。
 大学4年間、学生の皆さんには様々なチャンス(機会)があるはずです。そのチャンスを活かせるかどうか、様々な判断を迫られることでしょう。「後悔先に立たず」―学生の皆さんが、悔いのない学生生活を過ごす。これもまた、私が切に願うところです。

ノーフォーク・エリザベス川 1852年にペリー艦隊は軍港ノーフォークを出発し、日本へ向かった。(撮影/後藤敦史)

 

【注1】詳しくは、拙著『忘れられた黒船―アメリカ北太平洋戦略と日本開国』講談社、2017年をご参照ください。
【注2】これもまた、詳しくはぜひ、後藤敦史・髙久智広・中西裕樹編『幕末の大阪湾と台場―海防に沸き立つ列島社会』戎光祥出版、2018年をご参照いただければ幸いです。

 

推薦図書

◉『日本近世の歴史5 開国前夜の世界』横山伊徳 吉川弘文館 2013年
 開国にいたるまでの、19世紀前半の日本について、世界史の動向をしっかりおさえながら分かりやすく描いた名著です。

◉『アホウドリを追った日本人 一攫千金の夢と南洋進出』平岡昭利 岩波新書 岩波書店 2015年
 明治以降、多くの日本人が太平洋へ進出します。その背景に、アホウドリの存在がありました。知られざる近代日本の歴史に触れる名著です。

◉『忘れられた黒船 ―アメリカ北太平洋戦略と日本開国』後藤敦史 講談社メチエ 講談社 2017年
 自分の本を推薦するのもなんですが、太平洋進出をはかるアメリカ外交の中で、日本開国がどう位置づけられていたのかを、アメリカ側の史料を用いて分析しました。京都橘大学の教員がどういう研究をしているかを知る一冊として、手に取っていただければ幸いです。


PROFILE

後藤敦史  ごとう あつし  京都橘大学文学部歴史学科准教授
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程。博士(文学)。専門は幕末・維新史。主な著書に、『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎、2015 年)、『アニメで読む世界史2』(山川出版社、2015 年共編)、『忘れられた黒船―アメリカ北太平洋戦略と日本開国』(講談社、2017 年)『幕末の大阪湾と台場ー海防に沸き立つ列島社会』(戎光祥出版、2018年共編)、『阿部正弘ー挙国体制で黒船来航に立ち向かった老中』(戎光祥出版、2022年) などがある。



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