山内由賀

タイムトラベルする
楽しさ


山内由賀  京都橘大学文学部歴史学科専任講師

タイムトラベル

 その時、わたしはパリの北の方にある公文書館で19世紀の史料を読んでいました。ボックスの中に乱雑に詰め込まれた文書たちは茶色に変色し、取り出すとボロボロと破片がこぼれます。読んでいたのは、1853年にノートル・ダム大聖堂で結婚した皇帝ナポレオン三世とスペイン貴族ウジェニーに贈られた贈呈品目録です。二人の結婚に際してはきらめく宝石類にピアノ、皇帝夫妻を称える詩や音楽などさまざまなものが贈られました。財務記録からは久しぶりの慶事への興奮や賑やかさが浮かび上がってきます。衣装合わせ、音楽隊の選定、宮殿から大聖堂へのルート設定、式次第…ふと顔をあげると、自分がどこにいるのかしばしわからなくなりました。わたしには確かに皇帝夫妻が乗った馬車が見え、歓声をあげる群衆の声が聞こえていたからです。「歴史を研究するというのはタイムトラベルをすることなのだ」と感じました。

 歴史学が問うのはすでに過ぎ去った出来事や社会・人の営みです。今を生きる私たちとは異なる価値観、事象の意味や影響を考える学問です。そのため、過去を知る手がかりとして「史料」がとても大切です。「史料」とは公的な文書だけでなく、プライベートな手紙や日記、絵画などの図像史料など多岐にわたります。こうした「史料」に裏付けされないことはあくまでも想像にすぎません。しかし、想像力もまた歴史学の問いを立てるうえで大切な力です。現在を形作ってきた歴史の流れにさまざまな想像をめぐらせて、史料を生かしてタイムトラベルしながら歴史的事実を浮かび上がらせる、それが歴史学の楽しさだと思います。

 今のところタイムマシンは発明されていませんし、わたしたちが生きているうちに映画のようにタイムトラベルをすることは出来なさそうです。しかし、歴史学を学び、史料に没頭することはわたしたちを過去にタイムトラベルさせてくれる一番の近道です。歴史学を学ぶ皆さんには、ぜひ史料の海に飛び込んで、タイムトラベルを体験してほしいと思っています。

フランス公文書館の史料(撮影:山内由賀)

女子教育を問うということ

 女性史と教育史、どちらも高校までの歴史の授業ではなじみがないものかもしれません。女性史という歴史学のジャンルは20世紀の半ばになってようやく登場してきたものです。それまでの歴史学というのは、政治や大きな事件・戦争、経済について問うものが主流でした。そしてそれらの出来事の中心にいたのはほぼ男性たちであり、歴史学=男性の歴史として描かれてきました。けれど人類の営みのなかに、女性が存在していなかったわけではもちろんありません。多くの女性たちの姿が男性たちの後ろに隠されてしまっていたのです。その背景には、女性は表舞台に出るべきではないといった社会規範もありましたし、歴史家の多くが男性であったなかで女性の存在にそもそも気づいてこなかったのもありました。

パリの中心に位置する彫刻家オーギュスト・ロダンの美術館は、かつて女子修道会の運営する学校でした。
今でもその時の面影が色々なところに残っていますが、広大な庭は修道院寄宿学校の特徴のひとつです。(撮影:山内由賀)

 わたしの研究としては、長らくフランス女子教育史に関心を寄せてきました。現在フランスでは法律によって宗教と教育の分離が定められていますが、かつては教育にはカトリック教会が深く関わっていました。特に、男子に対しては早くから公教育化がすすめられましたが、女子教育に関しては1880年に女子中等教育法であるカミーユ・セー法が成立するまで、修道院寄宿学校が女子教育の中心的担い手となっていました。なかでも、第二帝政期には「カトリックの女性化」と称される女子修道会の増加現象が起こり、フランス全土の女子教育の教育施設のうち約7割が修道院寄宿学校でした。しかしながら、こうした修道院寄宿学校の存在は「正式な学校ではない」と偏見の目で見られたり、「女子には教育が必要とされていなかった」と考えられていたため、女子教育史研究は充分に行なわれてきませんでした。

 現在のフランスは、公教育の場に宗教を持ち出すことは禁じられ、男女別の学校もほとんど存在しません。なぜ女子教育には宗教的な結びつきが重視されたのか?なぜ宗教と教育をわけなくてはいけないのか? 宗教と教育という関係においては、いまなお世界の多くの地域で宗教によって、特に女子が教育の機会や学習内容が制限されたり、阻まれたりしている問題があります。現代におけるこうした教育と宗教の結びつきがまねく諸問題及び教育の行く末を探るにあたって、フランスの女子教育の成立過程を事例に宗教と教育の関係性を考察することは非常に有効な手段になると考えています。

代表的な女子教育修道会のひとつであるウルスラ会での学校の様子。(出典:Album de photos. La Sidoine 1851-1901.)

推薦図書

◉『アルカディア』トム・ストッパード 小田島恒志訳 ハヤカワ演劇文庫43 早川書房 2018年
 トム・ストッパードというイギリスの劇作家による戯曲です。過去と現在、ふたつの時間軸が同じ屋敷を舞台としてすすむのですが、過去では数学の天才少女と家庭教師、現在ではベストセラー作家と研究者が登場します。同じ屋敷という場所を媒介として過去と現在が繋がっていく歴史の面白さ、そして史料に向き合うことの昂揚感と誠実に取り組むことの大切さを教えてくれます。わたしは観劇と読書が趣味なのですが、「好き」という気持ちはあらゆる原動力になります。ぜひジャンルにとらわれずあらゆるものを観たり読んだりして、自分の「好き」を見つけてください。

◉『女の歴史』G.デュビィ、M.ペロー監修 杉村和子・志賀亮一監訳 藤原書店(全5巻10分冊・別巻2)
 京都橘大学の女性歴史文化研究所が翻訳を監修した、女性史研究において最も重要な邦語文献のひとつです。古代から20世紀にわたるあらゆる女性たちの営みが明らかにされています。高校までの歴史とは違う、歴史に対する新しいまなざしを教えてくれるでしょう。

◉『〈女らしさ〉はどう作られたのか』小倉孝誠 法蔵館 1999年
 「女らしい」とはいったい何でしょうか?スカートを穿くこと?綺麗にお化粧すること?お料理が上手なこと?十九世紀の女性たちは「女らしさ」によって身体や生活を管理されていました。わたしたちが今でも何となく当たり前のこととして受け入れてしまっている「女らしさ」が、実は男性たちによって作り上げられてきたものであることがわかります。


PROFILE

山内由賀  やまうち ゆか 京都橘大学文学部歴史学科専任講師
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程研究指導認定退学、博士(人間・環境学)。専門はフランス女子教育史、ジェンダーと教育。主な著書・論文は『19世紀フランスにおける女子修道院寄宿学校』(春風社、2021年)、「修道院時代とその影響をめぐって」(『ユリイカ 特集ココ・シャネル』青土社、2021年)、「女子教育の行く末を探る」(『わたしの学術書』春風社、2022年)など



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