堤一昭

2つのチンギス・カン像から
見えてくること


堤一昭  京都橘大学文学部歴史学科教授

なぞ解き――だれの肖像画か?

 図1は、現在の中国東北地域にあった「満洲国まんしゅうこく」の首都「新京しんきょう」(現在の長春ちょうしゅん)で1941年から発行されていたモンゴル語新聞『青旗(フフ・トグ)』の付録のカレンダーの台紙です(下部の「月めくり」の部分は失われて空白になっています)。日本が1931年の満洲事変まんしゅうじへんの後に建国させた「満洲国」の西部はモンゴル人の多い地域で、そこへの広報のためにモンゴル語新聞が発行されていたのです。さて、このカレンダーに描かれているのは、だれでしょうか?不思議なかぶとをかぶり、右手には軍配ぐんばいうちわ(采配さいはいのようなふさも見えます)を持ち、刀をベルトで背負って椅子いすに座る、白い豊かなひげの人物には、今はどなたも見覚えはないでしょう。カレンダー台紙のどこにも人物についての説明はないのですが、当時は見たら、だれなのかがすぐに分かったのではないかと思われます。

図1 「チンギス・ハーン坐像」青旗報社(満州国・新京)カレンダー台紙 大阪大学附属図書館所蔵 出典:大阪大学学術情報庫 クリエイティブ・コモンズ 表示—非営利—継承4.0 国際ライセンス(CC BY-NC-SA)

“あやしい”チンギス・カン像

 これは、13世紀にモンゴル帝国を立てたチンギス・カン(ジンギスカン、成吉思汗、元の太祖)の肖像画だと考えられます。1924年に刊行された小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也みなもとのよしつねなり』の口絵(図2)にそっくりの画像があり、「成吉思汗の肖像」とのキャプションがあるからです。おそらくこの画像(またはその原図)をもとにして図1の絵が描かれたと推定できます。ただ、この肖像画はとても“あやしい”。顔の部分があとからはめ込まれたかのように角度が不自然ですし、服装や持ち物も13世紀のモンゴルのものとはまったく異なります。1921年刊行の『蒙古(モンゴル)写真帖』には、原図と思われるものの写真が載っていて「成義思汗(成吉思汗)の像はロシアのある人が種々の参考資料から推測して描いたものだ」との説明があります。実はこの説明自体も“あやしい”ものの、近代になって想像で描かれたものと考えられます。なお、「源義経が大陸に渡ってチンギス・カンになった」という伝説のルーツは江戸時代にありますが、『成吉思汗ハ源義経也』(こじつけだらけの「トンデモ本」です)によって広まりました。もちろん史実ではあり得ません。しかし、当時の学者たちが反論のために『成吉思汗は源義経にあらず』を緊急出版したことからも、そのインパクトの大きさが分かります。

図2 (小谷部全一郎『成吉思汗は源義経也』富山房口絵)国立国会図書館次世代デジタルライブラリー

なぜ2つのチンギス・カン像があったのか?

 現在、チンギス・カン像として広く知られているのは、台湾の故宮博物院が所蔵する「元太祖皇帝」像です(図3)。清朝の宮殿・紫禁城しきんじょう(現在の北京の故宮こきゅう)内の建物「南薫殿なんくんでん」に収蔵されていた中国歴代の皇帝・皇后の肖像画の一つで、13~14世紀に描かれて伝来したと考えられる肖像画です。この“由緒ゆいしょ正しい”チンギス・カン像があるのに、なぜ“あやしい”チンギス・カン像を描く必要があったのでしょうか?そこにはチンギス・カンをめぐる近代アジアの歴史が背景にあります。

 20世紀の初めに辛亥革命で清朝が崩壊したころ、アジア各地でナショナリズム(民族主義)が盛んになりました。清朝の治下にあったモンゴル人の間でもナショナリズムがおこり、チンギス・カンがそのシンボルとなったのです。写真・印刷などで画像の複製が作られて流布していく時代でもあり、民族のシンボルとして「チンギス・カン像」が求められました。しかし清朝の宮殿が中華民国成立後に「故宮博物院」となって、宮中に秘蔵されてきた肖像画などの文化財が世の中に広く公開され、知られるまでには時間がかかりました。「元太祖皇帝」像が載る『中国歴代帝后像』や『元朝歴代帝后像』といった図録が中国で刊行されましたが、流布は限られていたようです。「需要と供給」の時間差の中で、“あやしい”チンギス・カン像が生まれたのです。

 もう一つの背景は、モンゴルをめぐる内外の政治情勢です。清朝の崩壊後、モンゴルの北部(外モンゴル)は独立しましたが、南部(内モンゴル)は中華民国に含まれ、自治要求運動が起きました。日本はすでに中華民国初期(1915年)に袁世凱えんせいがい政権から「南満洲及び東部内蒙古(モンゴル)」の権益を得て進出を始めていました。1931年の満洲事変の後には“かいらい国家”の「満洲国」を作り、さらに1937年からの日中戦争時期には内モンゴル西部のモンゴル人の自治要求運動を支援します。その一方で中国国民党と中国共産党は協力と対立の時期を経て、「第二次国共合作」(1937年)以降は協力しつつ日本と戦っていました。日本ほかの各政治勢力は、“あやしい”・“由緒正しい”双方の「チンギス・カン像」を用いて、「満洲国」や内モンゴルのモンゴル人の支持を得ようと競いあう状況にあったのです。

図3 「元太祖皇帝」像 元代帝半身像册 台北故宮博物院所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示4.0 国際ライセンス(CC BY 4.0)

歴史の研究から見えてくるもの

 私自身はモンゴル時代(13~14世紀)の中国史(おもに元朝の歴史)を研究しています。当時の歴史史料を用いて研究を進めていく一方で、後世になされたこの時代の研究も読んでいきます。するとチンギス・カンをはじめ、当時の人物や歴史がその後、現在にいたるまでどのように評価・利用されたかも同時に見えてきます。現在の状況と当時とを対比して、その間の歴史の推移、そして将来にも関心を持つようになりました。歴史の研究は過去のロマンを求めるだけにとどまらず、現在にいたるリアルを知り、さらに将来を考えることにもつながると日々感じています。

 

推薦図書

◉杉山正明『遊牧民から見た世界史』 日経ビジネス人文庫 日本経済新聞出版社 2011年
 モンゴル時代(13~14世紀)研究に画期をもたらした著者による、遊牧民からの視点で見直した中央ユーラシア史の概観。現代史まで視野に入れたスケールの大きな著述からは、多くは中国王朝側からの視点で書かれてきた「東洋史」とは異なる歴史像が見えてくるでしょう。同著者の『モンゴル帝国の興亡(上・下)』(講談社現代新書)は、モンゴル帝国・元朝の詳細な通史。

◉金文京『三国志の世界(中国の歴史4)』 講談社学術文庫 講談社 2020年
 中国通史シリーズの中の1冊です。最新の成果をもとに三国時代を通観した前半も良いのですが、中国文学を専門とする著者の特色は、後半の「三教鼎立の時代」(三教とは儒教・道教・仏教)、「文学自覚の時代」、「邪馬台国をめぐる国際関係」「三国時代と現代の東アジア」に出ています。同著者の『水戸黄門「漫遊」考』(講談社学術文庫)は、時代劇の「水戸黄門」と同じ類型のお話が中国、朝鮮にもあったことなど、文化史研究のおもしろさを教えてくれます。

◉柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』 中公新書 中央公論新社 2021年
 本のカバーに紹介されているように「始皇帝、項羽と劉邦、曹操ら英雄が活躍した古代の中国。二千年前の人々はどんな日常生活を送っていたのか。気鋭の中国史家が文献史料と出土史料をフル活用し、服装・食卓・住居から宴会・性愛・育児まで、古代中国の一日24時間を再現」したもの。とにかく楽しい本でお勧めです。


PROFILE

堤一昭  つつみ かずあき 京都橘大学文学部歴史学科教授
京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。文学修士。専門は、モンゴル時代(13~14世紀)を中心とした中国史、中国石刻史料研究、近代日本の東洋学史。主な著作として「モンゴル帝国と中国-コミュニケーションと地域概念」『グローバルヒストリーと帝国』(共著、大阪大学出版会、2013年)、「中国の自画像と日本の中国像」『歴史学のフロンティア-地域から問い直す国民国家史観』(共著、大阪大学出版会、2008年)、「石濵文庫所蔵の桑原隲蔵書簡-マルコ・ポーロの「キンサイ=行在」説をめぐって」『待兼山論叢・文化動態論篇』46号、2012年』)などがある。



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