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田端泰子本学名誉教授が京都新聞に「室町時代の京都」に関するコラムを執筆


 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」欄に「室町時代の京都」と題したコラムを執筆した。戦国時代から始まった「洛中洛外図屏風」には、すでに存在しない景観などを含む「見たい」京都の姿が描かれている。これに対し、田端名誉教授は、戦国時代以前の京都の実相の一端を紹介した。
 室町時代の京都は、三条以北に内裏や将軍御所、大寺社があり、政治経済の中心をなしていた。三条以南には商工業者が集まり、放射線状に街道が伸びていたという。これらの街道からは、いろいろな物資が大消費地である「京中」に運ばれた。たとえば、山科郷から米や大豆、野菜、建築用材の竹、八瀬・大原から炭や薪、長岡や大山崎からは筍や荏胡麻(えごま)など。一方、これらを京都にもたらした人々は、農業を営みつつ、商業を兼務しており、訪問した公家・武家の屋敷などから惣郷に多くの情報を運ぶキャスターの役割を果たしていたと、田端教授は解説する。
 そして、このような人々の暮らしは、時の為政者に対する厳しい批判の目を養うことになり、1428年に初めての土一揆が起こり、幕府は徳政令を出すことになる。京都周辺の人々から始まった土一揆は、やがて「京中」の多様な人々も巻き込むが、この背景には「京中」と周辺村々の固い結びつきがあったと指摘した。

【2016年5月1日 京都新聞で報道】

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