2026年9月12日(土)、新学部・新学科開設記念講演会「文化交響 Vol.6」を世界遺産・清水寺にて開催しました。
本講演会では、「知性とはなにか。-『人間の知』×『AIの知』×『仏教の知』から考える-」をテーマに、人間とAIが共存する時代に求められる知性のあり方について、糸井重里氏(株式会社ほぼ日 代表取締役会長)、森清顕氏(清水寺 執事・教学部長/京都橘大学客員教授)、松原仁氏(京都橘大学工学部長・ロボティクス学科教授)が登壇し、多角的な視点から議論を深めました。
第一景「プロローグ」では、森清顕氏が「願いの正体-舞台に託されたもの-」をテーマに講演を行いました。
森氏は、778年に開創された清水寺の歴史をひもときながら、「人はなぜ願うのか」という問いを来場者に投げかけました。「人は、自分自身の力でも、周囲の助けを借りても解決できない出来事に直面したとき、祈り、願うことがある。その時、人は意識せずとも、人知を超えた大きな存在を心のどこかで信じているのではないか」と説明。その象徴として、『清水の舞台から飛び落ちる』という願掛けについて紹介されました。森氏はこの逸話を通じて、「願いとは、ただ望みが叶うのを待つことではなく、自らの行動へとつなげていく決意そのものであること。また、一人ひとりの思いや行為は波紋のように社会へ広がり、未来へと受け継がれていく」と清水の舞台に託された人々の願いを辿りながら、語りました。

第二景「クロストーク」では、清水寺本堂を舞台に、糸井重里氏、森清顕氏、松原仁氏が登壇。前田彩名氏(FM京都α-STATION DJ)の進行のもと、「知性とはなにか」という大きなテーマについて、議論を交わしました。
冒頭では、「知性と聞いて何を思い浮かべるか」という問いから対話がスタート。糸井氏は、「知性とは知識量や論理的思考力といったものだけではなく、『願うこと』『祈ること』『生きる姿勢』といった身体性を伴うものにも表れるのではないか」と語りました。森氏は「知っていることと、できることは違う」と述べ、経験を通して身につく知の重要性に言及。また、長年にわたってAI研究を続けてきた松原氏は、会話や創造、判断など人間の営みの多くが知性に含まれるため、その定義は研究者にとってもまだ答えが出ていない難しい問いであると語りました。




また、「AIは知性を持てるのか」「人間とAIの違いは何か」という問いでは、AIが特定分野で人間を上回る能力を持つ一方、自ら美しさや懐かしさを感じるわけではないことに議論が及びました。森氏は、「人間とAIにおける『知性』を考えるうえで、『情』の存在が大きいのではないか。AIを活用する際にも使う側の知識と判断力が必要になる」と語り、糸井氏は、AIによって人間とは何かが改めて問われているとしたうえで、言葉や定義だけでは説明しきれない、人が感じる情緒や主観の大切さについて意見を交わしました。
さらに、「選択や判断、決断とは何か」「失敗や迷いは知性なのか」という問いについて、松原氏は、「AIは選択肢を示すことはできても価値観を持つわけではなく、最終的に決断し責任を負うことは人間の役割である」と説明しました。森氏は、自ら選択し、その結果を引き受ける覚悟の大切さを強調。糸井氏は人生を「あみだくじ」に例え、失敗や偶然も現在の自分につながる大切な経験であると語りました。


クロストーク後半では、中高生や大学生から寄せられた質問に回答。「どうやって自分の答えを選べばよいのか」「分かり合えない人とどう生きていけばよいのか」「人間は何をAIに任せ、何を手放してはいけないのか」などといった問いに対し、それぞれの経験や専門的な視点から考えを示しました。
最後には、次世代にむけて「未来を生きるためのエネルギーの生み出し方」について、温かなメッセージが届けられました。

進化し続けるAIは膨大な情報を整理し、判断を支えることはできますが、何を選び、どのような未来をつくるのかを決めるのは人間です。
願うことは、未来を信じることであり、明日へ踏み出す力そのものです。正解のない時代だからこそ、自ら感じ、考え、選び、行動する。その積み重ねこそが未来を形づくっていくことが語られました。
当日は、秋雨前線の影響が心配される中でしたが、晴天に恵まれ、音羽山からは心地よい秋風が吹いていました。閉門後の静寂に包まれた清水寺で、多様な知が響き合い、来場者と共にこれからの時代に求められる「知性」と「豊かな未来のあり方」について考える特別な一夜となりました。
※クロストークの内容については、採録記事・動画を2027年1月末ごろ公開予定です。


【当日の運営には、たちばな学生広報スタッフが活躍】





ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。