細川涼一学長が鎌倉時代の医学史について執筆した。鎌倉幕府3代将軍の源実朝の時代、治病として行われたのは、密教僧による加持祈祷と陰陽師の祓いだけであったことから、鎌倉に定住した医師はいなかったと推測される。新しい宋元の知識にもとづく僧医・民間医が登場し、京都の公家政権の官医である丹波氏による医療技術の独占が衰退したこと、実朝の死に伴い、丹波氏の一族が鎌倉に移住したことから丹波氏の医療技術は京都から地方へと伝播していった。ある技術が危機にあると、かえってその技術が民間に広がる契機となると結んでいる。
【2015年1月23日 京都新聞に掲載】