田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に応仁の乱に関連したコラムを執筆

 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「応仁の乱 勃発を考える」と題したコラムを執筆した。応仁の乱発生の最大の原因は、応仁元年以前に管領であった畠山政長が数々の争乱を止めさせることができずに無策に終わったこと、そして、率先して乱の一方の当事者になった点だという。乱開始後、両軍の上に立つ将軍家は、戦闘をやめさせてこそ、その存在意義があるが、理非の判断能力を失った足利義政は恣意的な政治を行い、戦闘をやめさせられなかった。そのために京都は何度も「大焼亡」に見舞われて焼き尽くされ、住民の生活は破壊された。歴史学では他人が記憶して日記や記録に文字化して残していたものを、公文書とともに第一級の史料としている。田端名誉教授は、応仁の乱と似た状況の現在を重ね合わせ、「国会でも当事者の記憶を俎上に上げるより、残存文書こそ第一級の史料とすべきであると思う」と結んでいる。

【2018年4月22日 京都新聞に掲載】

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