田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「小袖の受容と暮らしの変化」と題するコラムを執筆

 「小袖」は日本の衣装の一つで、絵画史料に登場するのは、院政期の『扇面法華経冊子』で貴族の男性・女性・子どもが大きな袖の直衣、袿などの着物を着た姿が描かれている。また、一般民衆の女性の着衣は、筒袖か下着姿、袖なしの着物姿で労働していることがわかり、小袖は女性の働き着、日常着として採用され始めた。室町・戦国期の『七十一番職人歌合』の着衣を分析すると、上衣に打掛を加えるなどさまざまな姿に変化させることが可能な着衣として愛用され、武士階級にも広まった。そして、室町・戦国期から近世初期にかけて、上層武士階級の豊臣秀吉や北政所おねなどの肖像画が描かれ始めた。高台寺蔵『豊臣秀吉画像』『北政所画像』などの肖像画の下部をよく見ると、板敷きであることがわかる。近世初期まで、大坂城に至るまで、貴人の就寝時や儀式、行事の時に限り畳が運ばれて敷かれていたことが絵画史料からも確認できる。こうした住居のあり方であぐらや片膝立てが正式の座り方とされ、身幅が広くひも状の帯をつける小袖は、あぐらや片膝立てを可能にした。小袖の研究によって暮らし方の一端が視野に入ったことは、研究者冥利に尽きると結んでいる。

【2019年1月27日 京都新聞に掲載】

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