文学部歴史学科の後藤敦史准教授が京都新聞「現代のことば」に「忖度でできた幕末の建造物?」と題するコラムを執筆

 文学部歴史学科の後藤敦史准教授が京都新聞「現代のことば」に「忖度でできた幕末の建造物?」と題したコラムを執筆した。堺台場は、幕末に堺奉行の主導で築造され、1854年に北台場、1857年に南台場が着工され、幕末の大阪湾岸のなかでいち早く築かれた。北台場は、堺奉行川村修就が主導し、南台場は川村の後任の関行篤が築造を提案したことがこれまでの研究で明らかとなっている。川村は堺の海は遠浅で外国船の来航は低いかもしれないが、幕府の重要な場所の海防はおろそかになってはいけないと積極的に推し進めたのに対し、関は、1855年に作成された意見書の草案で、海防の強化にそれほど意欲的でなく、外国船は遠浅の堺に来ないと述べているにも関わらず、結論は港の南側に台場を築きたいとなっている。関は、1854年にロシア艦が大阪湾内に進入する事件以降、幕府内で海防を強化しようと機運が高まっていたことから判断したと思われる。後藤准教授は、歴史研究者として堺台場での忖度の有無を追究すると同時に、現政権への忖度もしっかりと注視したいと結んでいる。

【2019年4月26日 京都新聞・夕刊に掲載】

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