田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「足利義満が纏った金襴の袈裟」と題するコラムを執筆

 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「足利義満が纏った金襴の袈裟」と題するコラムを執筆した。足利義満の肖像画に描かれている金襴の袈裟から義満の事蹟を考察している。義満が亡くなった直後の1408(応永15)年に公家山科教言(のりとき)が相国寺で見た肖像画では、義満が着けた金襴の袈裟・黄披は、金糸で文様を織り出した紋織物で、室町時代にはまだ日本で織られていなかった。では、どのようにして入手したのか。1395(応永2)年、出家した義満は、1401(応永8)年に正式な遣明船を送り、翌年に明使をともない帰国し、以後義満時代に大きな勘合貿易は始まった。義満出家以後の日明関係を検討すると、1396(応永3)年から金襴を着用している。亡くなった直後の1408(応永15)年7月に教言が見た肖像画の袈裟・黄披は、日明貿易でもたらされたか、明皇帝から賜与されたと考えられる。このような肖像画が作成された背景には、日明貿易で成果をあげた義満の事蹟に対する称賛の思いが、当代に存在したためだろうとくくられている。

【2019年6月16日 京都新聞に掲載】

2019年度一覧へ