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田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「織田信長の椀飯」と題するコラムを執筆

 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「織田信長の椀飯」と題するコラムを執筆した。天正元(1573)年は、織田信長の覇権確立に大きな節目の年となった。4月に足利義昭と和睦するも、その後宇治槙島城で挙兵したため、追討して降伏させ、235年続いた室町幕府は滅亡した。この年の後半は、浅井久政・長政、朝倉義景を討ち、あるいは自刃させるなど、畿内をほぼ平定した。翌天正2年正月1日、信長の居城の岐阜城に京都と周辺の国々の家臣を酒食でねぎらう「椀飯(おうばん)」を挙行した。椀飯とは、平安時代以来、朝廷や幕府で正月に主従関係の再確認のために開かれた宴のこと。臣下にとっては期待が高まる平和的な宴に信長は冷や水を浴びせた。信長は他国衆が満足して退出したあと、「御馬廻」(親衛軍)だけ残し、朝倉義景・浅井久政・長政の三つの首を「箔濃(はくだみ)」(漆塗りにして金粉をかける)にして出し、謡などで酒宴を張ったという。田端本学名誉教授は、この天正2年正月の宴の前後から、比叡山の焼き打ちや荒木村重の妻女・子ども・下女など、家臣やその家族・従者に至るまで処刑した信長の〝狂気〟を指摘する。立場が変われば歴史の見方も変わるのが当然だが、怒りに任せて残虐な振る舞いに走る人であったことは、その足跡が雄弁に物語っているという。そして、天正2年正月17日にも「御饗応」があり、その席で信長は明智光秀と細川家の子どもたちを夫婦にさせることを命じ、光秀を西国征将に宣言したことも、以後の信長と光秀の関係を暗示する興味深いものだと結んでいる。

【2020年1月5日 京都新聞に掲載】

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