田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「必要なのは武力抗争を止める政治力」と題するコラムを執筆

 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「必要なのは武力抗争を止める政治力」と題するコラムを執筆した。日本の歴史のなかで、京都とその周辺が長期合戦で荒廃してしまった代表的な戦いは、応仁・文明の乱で、収束に向かって誰が力を発揮したのかを考察している。応仁元(1467)年から始まった合戦は、京の市中も近郊農村も、2年の間に焼け野原と化した。応仁元年から11年目に日野富子は、西軍の畠山義統に1000貫文という大金を渡した。義統は大内政弘や土岐一族などに分配し、自ら率先して分国能登に、大内、土岐らもそれぞれの分国に兵を引き、大乱は終息した。執政意欲を失った夫足利義政や年若い子息義尚の代わりに、富子は将軍家の一員として、万人が被害を受けた守護大名たちの合戦を、その政治力で終わらせたとくくっている。

【2021年6月6日 京都新聞に掲載】

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