田端泰子本学名誉教授の学術講演会を開催

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 2023年1月16日(月)、本学アカデミックリンクスにおいて、女性史研究の第一人者である田端泰子本学名誉教授(元学長)の学術講演会「大坂落城に遭遇した二人のおきく」を開催しました。当日は文学部歴史学科の学生約100人と教職員が聴講しました。

 田端名誉教授は、中世の庶民の姿がどのような状態だったのか知りたいと、京都郊外の中世村落の研究を続けてこられました。また、男女双方の史料を検討した上で、女性の姿も浮かび上がらせることが重要ではないか、との思いから、中世の女性史研究も続けてこられました。

 講演会では、豊臣政権から徳川政権へ変わる歴史の転換点「大坂落城」のときに、城中にいた二人の「女房」をテーマに研究されたことを話されました。落城時の記録のなかに、二人の「おきく」という女性の名前が残されていて、一人は大上臈の「於菊(おきく)」で、淀殿や豊臣秀頼らとともに自害した人。もう一人は、中臈の「おきく」で京都に逃れ生き延びることができた人です。歴史上、有名な人は相応に史料が残っていますが、一般の人、ましてや女性はほとんど残っていません。当時の様々な史料を丁寧に読み解きましたが、豊臣方の史料に「於菊」「おきく」の記録はほとんどなく、徳川方の史料『当代記』中に「於菊」の記録をみつけました。一方、生き延びることができた稀有な存在の「おきく」は、逃れた京都で、自身の「むかしがたり」をしたためたので記録が残っていました。この史料は大変貴重なものと考え、二人の体験を論文にまとめたと話されました。

 田端名誉教授は「長い教員・研究者としての生活のなかで、学生の皆さんの若々しい力が私の力になりました。皆さんも身体にも気をつけて、自分の好きな道、信じる道を貫いてしっかり進んでほしいと思っています」と学生にエールを送られました。

【田端泰子名誉教授プロフィール】
1964年に京都大学文学部を卒業。
1986年に『中世村落の構造と領主制』にて京都大学文学博士を取得。
中世後期の村落構造に関する研究のほか、女性史研究のパイオニアでもあり、中世の女性が果たした役割や地位の解明に取り組む。
1980年に橘女子大学(※)の教授となり、2004年~2010年には京都橘女子大学(※)の学長を務める。
2011年に本学より、名誉教授の称号を授与された。
2011年~2017年に京都市男女共同参画審議会会長を務める。
2021年に「令和3年度京都市文化功労者」として表彰されるなど、京都市市政にも大きく貢献した。

※いずれも現・京都橘大学



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