研究代表者:大久保 千惠(京都橘大学 総合心理学部 総合心理学科・教授)
身近にできるストレスケアの効果についての生理学的・心理学的効果の検討
③こころとからだ
2023年4月1日 ~ 2027年3月31日
本ユニットでは、日常的に実践可能なストレスケアの拡充を目指し、「Tachi・けあ」として啓発活動 を行うことを計画している。これまで、2023年度から2024年度にかけては看護ケア技術のひとつである「タッチケア」について生物学的・心理学的効果について検討を行い、2025年度は多くの学生が日常的に関与している「ゲーム」のストレス緩和や集中力向上への影響を調査する予定である。本研究では、「こころとからだにふれる」をテーマに、唾液バイオマーカーや脳波などによる身体的効果と心理学的指標による精神的効果を測定し、大学生の日常生活でのストレスケア提案につなげることを目指している。
本研究の介入ツールとなる「ゲーム」について定義する。井上(2024)によると「ゲームとは、遊びや競技を行うための活動やルールの集まりであり、参加者が特定の目的を達成するために戦略や技術を駆使し競い合う形式が多い。このうち、デジタル機器を用いたゲームはデジタルゲームまたはビデオゲームと呼ばれる。さらに、インターネットなどの通信ネットワークを介して複数の人が同時に参加して行われるコンピュータゲームはオンラインゲームと呼ばれる」とされている。現在、スマートフォンやゲーム機、パソコンなどで行われているゲームの多くはオンラインゲームである。また、小林(2024)は「『ゲーム』とは広くコンピューターゲームのことを指し、パソコンやスマホ、ビデオゲームでできるもの」と定義し、それらをアーケードゲーム(大型ゲーム)、コンシューマーゲーム(家庭用・携帯型ゲーム)、パソコンゲーム、スマートフォンアプリによる携帯電話ゲームの4つに分類している。さらに、日本eスポーツ連合(JeSU)によれば、「eスポーツ(esports)」とは「エレクトロニック・スポーツ」の略であり、電子機器を用いた娯楽や競技全般を指す言葉である。特に対戦型のデジタルゲームはスポーツ競技として位置づけられつつあり、「eスポーツ」は「スポーツとして競技化されたゲーム」と定義されている(小林,2024)。競技化したゲームというのは,1対1やチームで対戦ができる内容のものを指す。国内外でeスポーツ人口は増加傾向にあり、日本国内では2023年時点で市場規模が前年比117%増の146.85億円、ファン人口が856万人とされている。
一方、インターネットへの依存やデジタルゲームへの依存性についても懸念が示されている。Young(1998)は、インターネット依存症について指摘し、その後の研究ではインターネットの中で明らかに依存性が認められたのはゲームであったと報告した。その結果、2013年にはアメリカ精神医学会の診断基準DSM-5において「インターネットゲーム障害」という診断名が導入され、2019年にはWHOによる疾病分類ICD-11でも「ゲーム障害」が正式に定義された。長時間のゲームによる眼科的健康障害、身体的健康への影響、睡眠障害などの健康障害が生じる可能性が指摘されており(井上,2024)、自閉スペクトラム(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)などの発達特性が関与していることも指摘されている(増田・山下・松本,2022)。一方で、適切な範囲内で行われるゲームにはストレス緩和効果や認知機能向上効果があることも報告されており(井上,2024)、特にeスポーツではストレス解消や注意力改善、レジリエンス強化などポジティブな効果が期待される反面、嗜癖によるスクリーンタイムの増加による眼精疲労、姿勢不良、座位時間の増加によるうつ、不安の増加などが課題となっており、未だ適切な安全策は確立していない(井上,2024)。
そこで本研究では、日常的に行うことが可能な「デジタルゲーム」および「eスポーツ」がストレス緩和や集中力向上にどのような影響を与えるかについて検討する。また、それらが自己効力感とどのような関連性を持つかについても明らかにすることを目的とする。さらに、ASD傾向やADHD傾向など神経発達症特性との関連性も考慮しながら、生理学的指標として唾液バイオマーカー(オキシトシン濃度)、脳波、および心電図を用い、心理学的指標としてストレス尺度や選択的注意力検査を活用して総合的な分析を行う。本研究の社会的意義として、日常的に行える「ゲーム」が、多研究領域の視点を通じて身体的リラックス効果、ストレス緩和効果や集中力向上へどのように効果をもたらすのかを検証し、新規性の高い社会的インパクトのある成果を伝えることができる点が挙げられる。具体的には、大学生が講義に集中できるような休み時間の過ごし方について科学的根拠に基づいた提案が可能となる点に本研究の意義がある。また、神経発達症傾向がある学生やストレスレベルが高い学生に対するエビデンスに裏打ちされた日常的なケアの方法を提示することができる可能性があるとも考えられる。これまでの研究では、侵襲性が高い血中オキシトシン濃度の測定によるものがほとんどであったが、本研究では侵襲性の低い唾液オキシトシン濃度と非侵襲的であり被験者への負担が少ない脳波測定を用いることに独創性がある。
青年期における抑うつなどの精神疾患の増加が指摘されており、特に大学生においては大学生活で困難を抱え、就学継続困難に陥る学生が増加していることからも、ストレスによる大学生活への不適応を来す前の対策を検討することが重要であると考えられる。
オキシトシンは、精神的な安らぎを与えるといわれる神経伝達物質のセロトニン作動性ニューロンの働きを促進することでストレス反応を抑え、人と交わるなどの社会的行動への不安を減少させると考えられている。多くの研究は、血中オキシトシン濃度を測定しており、侵襲性が高い。唾液オキシトシン濃度は血中オキシトシン濃度と相関するとの報告があり、採血の苦痛を伴わない非侵襲的に採取可能な唾液を用いて測定することには意義があると考えられる。内堀・米田・大久保は、2021年度京都橘大学総合研究センター公募型研究助成費を受け、大学生におけるASD傾向およびADHD傾向と唾液中バイオマーカーならびに心理的指標との関連についての調査を行った。その結果、ASD傾向における想像力の問題が高いと唾液αアミラーゼ活性が低い傾向があり、対人関係の問題は唾液コルチゾール濃度と関連している可能性が見いだされた。そして、ASD傾向のうちコミュニケーションに関する困難が高いと唾液オキシトシン濃度は低いという関連性が見いだされた(内堀・米田・大久保,2023)。 さらに、2025年度からは神経生理学的指標としての脳波測定を行うことで、こころとからだを繋ぐための脳機能の解明が重要な役割を果たす。脳波は脳内活動をリアルタイムで反映する電気信号であり、その周波数帯域(例:アルファ波やベータ波)は注意集中力やリラックス状態と密接に関連している。例えばアルファ波はリラックス状態や覚醒時の集中状態と関連し、一方ベータ波は認知負荷や集中力向上時に増加するとされている。このため、脳波測定によって大学生がゲームプレイ中にどのような心理状態や認知機能変化を経験しているかを科学的かつ客観的に評価できる。またASD傾向やADHD傾向がある学生では特徴的な脳波パターン(例:アルファ波減少またはベータ波過剰)が報告されており、このような神経発達症特性との関連性も明らかになる可能性がある。さらに脳波測定は非侵襲的であり被験者への負担が少ないため、本研究対象である大学生にも適した手法である。これまで、NTTが実施した先行研究は、eスポーツ選手の脳波と勝敗の関連を研究しているが、本研究では大学生を対象に、日常的なゲームがストレスや集中力に与える影響を、リラックスや緊張感を評価するための脳波や自律神経機能評価として心電図、唾液バイオマーカー、心理指標を用いて総合的に分析する。これにより、大学生のストレスケアや集中力向上に役立つ具体的な方法を提案することを可能とした新規的な研究を目指す。
本研究の目的は、これまでの「タッチケア」についての検証から、誰もが簡便かつ日常的に行うことが可能な行為がストレス緩和や集中力改善をもたらすことを仮説とし、本学においても、講義に集中できない学生が散見されるため、それらの効果についての検証を行うことが社会的意義を有するのではないかという点に着想した。また、唾液中バイオマーカーだけではなく、脳波や心電図などの生理学的指標を加えていくことで精度の高い科学的根拠を備えた研究となるのではないかと考えられた。本研究目的の達成のためには、「こころ」と「からだ」に関する専門的知識を有するとともに、それらの研究結果をデータサイエンスの視点から統合し、一般化を可能とする研究体制が必要となる。本ユニットは臨床検査学科・理学療法学科・情報工学科・総合心理学科および看護学領域の専門家教員によって構成されており、それぞれの専門性を活かして本研究の実現を支える体制が整っている。
・研究計画の詳細についてユニットメンバーで検討を加え、実験方法について検討する。具体的には、ゲーム時間やゲームの種類、対象とする被験者のゲーム障害尺度、アンケート調査項目などを整理し、京都橘大学研究倫理委員会に倫理審査の申請を行う。これにより、個人情報保護やインフォームド・コンセントなどについても配慮する。
・テスト実験として、大学生10名を対象にデータを収集する。
・取得した実データの分析を実施する。テスト実験でのデータ取得と分析により、ゲーム前後での数値傾向の把握と本実験の効率化を図る。
・科研費等外部資金獲得を目指す
・本実験として、大学生30名を対象にデータを収集する。
・eスポーツ大会でもデータを収集する。
・取得したデータの分析を実施し、分析結果を公表する。
※データ取得と分析については、本学の学生にアルバイトを依頼し、同時に教育効果を図ることとする。
京都橘大学に在籍している大学生を対象とする。調査への協力についての文書を用いて、研究者らが知り合いの複数学科の教員に調査協力者の募集を依頼し、参加者を募り、研究者らが調査について文書と口頭で説明し、調査への協力についての同意が得られた場合に、同意書を得る。 調査への参加は自由意思であり、途中で中断したり同意を撤回したりしてもなんの不利益もないことなどの倫理的配慮事項についても説明文書を用いて説明する。調査協力への同意の撤回については、同意撤回書を用いて行えることも説明文書内に記載し、口頭でも説明する。調査協力者にはIDを付与し匿名性を保つ。IDの管理は小西が行う。
・自閉スペクトラム症傾向の測定には「AQ日本語版(AQ-J)成人用尺度」を用いる。
・注意欠如多動症傾向の測定には「CAARS日本語版」を用いる。
・ストレスレベルの測定には「Public Health Research Foundationストレスチェックリスト(PHRF-SCL)」を用いる。
・自己効力感尺度を用いる。
・ゲーム障害尺度を用いる。
・これらの質問紙調査は、ゲーム介入前にオンラインで回答を求める。
・唾液採取: ゲーム介入前に、Salimetrics Oral Swab を使用して唾液を採取する。採取時間は午前10時とし、採取方法については、被験者にSwabを口に含ませ、5分間自然に唾液を溜めてもらった後、Swabを唾液採取用チューブに移し、遠心分離により唾液を採取する。採取した唾液は直ちに冷凍保存し、唾液中オキシトシン濃度の測定はEnzo社のOxytocin ELISA kitを用いて行う。
・選択的注意力の測定: ゲーム介入前後に、紙面上で1~50までの数字をみつけて線でつなぐTrail Making Test(TMT)を参考に独自に作成した、PC上で1~50までの数字を順に見つけクリックする数字探索問題を実施する。
・脳波測定: ゲーム中は、脳波計(ポータブル脳波計 Altaire ST081)を用いて脳波を測定する。電極は国際10-20法に従い、Fp1, Fp2, F3, F4, C3, C4, P3, P4, O1, O2, Czに装着する。サンプリング周波数は1000Hzとする。
・心電図測定: 脳波測定と同時に、心電図を測定する。
・ゲーム: 携帯電話またはタブレットを用いて20分間ゲームを行う。ゲームの種類は事前に被験者のプレイスタイルについてヒアリングを行い、クリア条件が設定されていない、または容易にクリアできるゲームを行う。
自閉スペクトラム傾向の測定ための「AQ日本語版(AQ-J)成人用尺度」、注意欠如多動症傾向測定のための「CAARS日本語版」、ストレスレベル測定のための「Public Health Research Foundationストレスチェックリスト(PHRF-SCL)」、自己効力感尺度、ゲーム障害尺度については、ゲーム介入前にオンラインで回答を求める。調査協力者と研究者間で日時を調整し、京都橘大学優心館4階「こころとからだの科学研究室」にて介入調査を実施する。
ゲーム介入前に、唾液採取と選択的注意力の測定を行う。唾液の採取は、Salimetrics Oral Swab
取得したデータは、統計解析ソフト(SPSS)やMATLAB(2024b)を用いて分析する。心理指標、生理指標、脳波データについて、ゲーム実施前後の変化を比較するために、対応のあるt検定またはWilcoxonの符号順位検定を用いる。また、自己効力感や神経発達症特性と各指標との関連を明らかにするために、相関分析または回帰分析を行う。脳波データについては、周波数解析を行い、各周波数帯(α波、β波など)のパワーを算出する。算出したパワーについて、ゲーム実施前後の変化を比較する。
本研究は、京都橘大学研究倫理委員会の承認を得て実施する。参加者には、研究の目的、方法、リスク、利益について十分に説明し、書面による同意を得る。参加は自由意思であり、いつでも中断・撤回可能であること、参加しないことによる不利益は一切ないことを保証する。個人情報は厳重に管理し、匿名性を確保する。
本研究の成果は、学会発表および論文にて公表する。大学生対象の研究を終了したのちは、対象者を青年期だけではなく、子ども、成人、高齢者さらに臨床群などに広げていくことを目指すが、2026年度には「Tachi・けあ」などと銘打って、大学生を対象としたストレスケアや集中力の向上方法について啓発するリーフレットなどを用いて広めていくことを考えている。
ユニットメンバー
氏名 | 所属 | 職位 |
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氏名:大久保 千惠 | 所属:京都橘大学 総合心理学部 総合心理学科 | 職位:教授 |
氏名:兒玉 隆之 | 所属:京都橘大学 健康科学部 理学療法学科 | 職位:教授 |
氏名:内堀 恵美 | 所属:京都橘大学 健康科学部 臨床検査学科 | 職位:専任講師 |
氏名:加藤 諒 | 所属:京都橘大学 工学部 情報工学科 | 職位:専任講師 |
氏名:小西 奈美 * | 所属:明治国際医療大学 | 職位:准教授 |
*共同研究者(外部・客員研究員)