国母になれなかった皇后 藤原寛子について文学部歴史学科の増渕徹教授がコメント

 文学部歴史学科の増渕徹教授が産経新聞「夫婦の日本史」で取材を受けた。「家の継承」が重視された時代では、子どもを持てるか持てないかに大きな意味があった。子どもに恵まれない夫婦でも、立派に実りある人生を送ったとして、藤原頼道の娘、寛子が紹介された。15歳で後冷泉天皇に入内したが、結局、皇嗣となる子どもが生まれなかった。国母となれなかった寛子だが、後冷泉天皇没後、皇太后、大皇太后として生き続け、弟の師実やその孫・忠実らに深く愛され、一族の支柱となり、92歳で亡くなった。文学部歴史学科の増渕徹教授は「皇子は産めなかったけれど、幸せで充実した人生といっていいでしょう」とコメントした。記事は、増渕徹教授の論文「藤原寛子とその時代」にもふれ、論文が収録されている『京都の女性史』(思文閣出版)も紹介している。

【2013年6月5日 産経新聞に掲載

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