田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」にコラムを執筆

 田端泰子本学名誉教授が京都新聞「天眼」に「京郊村落がむかえた応仁の乱」と題したコラムを執筆した。昨年好評を博した呉座勇一著『応仁の乱』(中央公論新社、2006年)では、ほとんど取り上げられなかった京都の土民・山科七郷について、どのように応仁の乱に巻き込まれ、何を失い、何を獲得したのかを再論した。山科盆地では、室町期に七郷全体の住民が一致団結して意思決定をする山科七郷惣郷が成立し、自律的な広域の自治村落結合が存在した。応仁の乱が勃発し、東軍として参戦した山科七郷は、七郷中六郷を焼かれる大被害に遭った。これにより、郷民側は、自律的な広域の住民結合がより強固になり、戦乱に対処する心構えが根付いた。豊臣政権によって、山科が「禁裏御料」として天皇家領と認められた背景には、応仁の乱以来の根強い郷民の「武家ぎらい」と山科を自分たちの力で守るという固い決意があったためであろうと、田端名誉教授は結んでいる。

【2018年2月11日 京都新聞に掲載】

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