足利義政御判御教書
寛正4年(1463)5月12日付

(花押)
近江国山田庄内典薬下司公文惣追捕
使職・貞延名法華八講奉行職・同北庄下司
公文早馬田職・新免下司職・散在田畠等
事、所返付山徒勝行虎一丸也、如元可領
知之状如件
寛正四年五月十二日
[読み下し]
近江国山田庄内典薬下司公文惣追捕使職・貞延名法華
八講奉行職・同北庄下司公文早馬田職・新免下司職・
散在田畠等の事。山徒勝行虎一丸に返付するところなり。
元の如く領知すべきの状、くだんの如し
八代将軍足利義政(1436~90)が勝行坊虎一丸に対して近江国山田庄(滋賀県草津市内か)内の典薬下司公文惣追捕使職など、複数の所領を返付したもの。
勝行坊は『太平記』にも登場する比叡山延暦寺の衆徒(いわゆる僧兵)で、室町幕府が延暦寺統制のために編成した山門使節のひとつです。足利義教(義政の父)によって処罰され、所領を没収されていたところ、義政の代になって返還されたものと思われます。
山門使節は幕府の統制下にあるため、義政は家臣に宛てるのと同様、袖判を据える薄礼の書式を用いています。この義政の花押は公家様花押です。