TOP

王政一新高札(五榜の掲示)

慶応4年(1868/明治元年)3月

    覚
王政御一新ニ付ては速ニ天下
御平定、万民安堵ニ至り、諸民其所を
得候様
御煩慮被為在候ニ付、此折柄天下浮浪之
もの有之候様ニては不相済候、自然今日之
形勢を窺ひ、猥りニ士民共本国を脱走等
いたし候義、堅く被差留候、万一脱国之もの
有之、不埒之所業いたし候上は、主宰之者
落度たるへく候、尤此御時節ニ付、無上下
皇国之御為、又は主家之為筋を存込
建言致し候者ハ、言路を開き、公正之心を以
其旨趣を尽させ、依願太政官代えも
可申出被
仰出候事
 但、今後総て士奉公人ハ不及申、農商
 奉公人ニ至迄相抱候節ハ、出処得と相糺
 可申、自然脱走之者相抱、不埒出来
 御厄害ニ立至り候節ハ、其主人之落度
 たるへく候事
  三月         太政官

この高札は、慶応4年(1868/明治元)3月に新政府が民衆に示した「五榜の掲示」のひとつで、裏面から「播州加東郡」(兵庫県加東市および小野市あたり)に掲示されたものであることが分かります。五榜の掲示により、新政府は①儒教的な五倫の重視、②徒党などの禁止、③キリスト教の禁止、④万国公法の尊重、⑤浮浪・脱走の禁止、という民衆統治の方針を示しました。

5番目にあたるこの高札では、自分の「本国」(藩など自分が所属する地)から脱走してはならない、と定められています。幕末期には、藩士たちが脱藩して政治行動をする、という事例も見られましたが、新政府はそれを禁止しました。その代わりに、新政府は政治的な意見を表明できるようにすることを約束しています。

五榜の掲示で示された方針は、基本的には幕府の統治を継承するものでした。一方、この高札で政治的な意見表明の機会を約束した背景には、幕末に藩士たちによる政治議論が活発になったことが関係しており、当時の新たな政治情勢を反映した面もありました。

  • 入試情報
  • 資料請求
  • オープンキャンパス