山科言継叙正三位位記
天文10年(1541)正月5日
従三位の公家山科言継(1507~79)を正三位に叙した際の位記。
中世の叙位・任官にあたっては、一般には口宣案という簡略な辞令書が発給されましたが、ときにこのような正式の位記が作成されることがありました。室町・戦国期の位記は残存例が少ないため、貴重な史料といえます。
9行目の「従五位下守中務少輔臣賀茂朝臣在雄行」までは、担当の中務省の長官(卿)・次官(大輔・少輔)が叙位手続きの執行を申請した部分。続けて当時の大納言・中納言が連署します(なかほどに将軍足利義晴の名前が見えます)。そのあとの「制可」は天皇が認可したことを示し、外記や摂政以下の大臣が署名、最後に式部省の長官以下が連署して、当事者に伝達します。このように、位記は叙位・任官の発議から当事者への伝達まで、一連の手続きを順次記載した書式をとります。
料紙は楮紙の漉き返し紙(再生紙)ですが、雲母が漉き込まれています。故実書によれば、三位以上の位記の料紙には檀紙を染めた緑紙もしくは青紙を用いることになっていますが、この位記の料紙が緑紙・青紙なのか判然としません。
山科家は代々、内蔵頭の職を世襲し、朝廷所領の管理や天皇が着用する装束の調進を家業としていました。京都橘大学のキャンパスは山科家の本領というべき山科東庄の中心部に位置しています。博学多才な山科言継は詳細な日記を残していますが、残念ながらこの年の記事を欠き、叙位の経緯は不明です。









