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山科言経叙正二位位記

慶長7年(1602)正月6日

従二位の山科言経ときつね(1543~1611)を正二位に叙した位記。

言経は言継の嫡男です。11歳で従五位上・内蔵頭くらのかみに任じられ、以後も順調に昇進しますが、天正13年(1585)6月に正親町おおぎまち天皇の勅勘を蒙り(ときに43歳)、京都を出奔して摂津や和泉堺に居住します。慶長3年(1598)11月に徳川家康の取りなしによって勅勘が解け、翌月内裏に出仕しました。それから3年後の同7年正月の叙位で正二位に叙されたわけですが、正二位は山科家にとって最高の官位であり、父言継に続いて正二位に叙せられることになりました。13年余に及ぶ不遇の時期を経たうえでの昇階だけに、喜びもひとしおだったでしょう。

料紙はパリパリとした触感の雁皮紙がんぴしで、青色の染料を混ぜるとともに紺紙も漉き込んだ青紙ですが、表面には溶解しきっていない樹皮片が多数確認でき、漉きむらがあって紙の厚さも均一ではなく、紙としては粗製という印象を受けます。

表紙(第一紙)に貼り付けられている紙紐や黄褐色の軸木は故実に則った仕様になっており、中世後期の位記の形態・特徴をそなえたものと評価してよいでしょう。

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