宇治郡山科郷絵図(裏書)
表書之絵面相違無御座候、以上
明和五年子正月 城州宇治郡
山科郷中惣代
小山村
庄屋佐五右衛門(印)
厨子奥村
庄屋新五兵衛(印)
江戸時代の山科を描いた彩色絵図で、裏書の記載によって明和5年(1768)正月の作成とわかります。京都橘大学が立地する大宅村を含む宇治郡山科郷の17ヵ村と、街道、川筋が描かれており、人家の様子や隣村との距離も記されています。山科の地は中世以来「山科七郷」として強い自治的つながりをもって歩んできた地域で、江戸時代にはほとんどが皇室の領地である禁裏御料となっていました。
よく見ると、それぞれの村に「御免村」か「御免無之村」のいずれかが書き添えられています。何かが許された村とそうでない村があったようです。村里で家の普請や修復をする場合、京都町奉行所へ願い出ることになっていましたが、この絵図が作成される前月、遠方の村々については往復の費用もかかることから、奉行所ではなく代官所か領主地頭に指図を受けるよう触が出されました。ただし、遠方でも奉行所へ願い出るよう命じられた村がいくつかあり、それらは「御免無之村」と合致します。つまり、代官所・領主地頭への願い出を許されたのが「御免村」、それが許されず奉行所への願い出を命じられたのが「御免無之村」であったようです。
「紅花園文庫」の蔵書印が押されていることから、江戸時代に京都で紅屋五兵衛として呉服・両替商を営んでいた田中家に伝わった史料と推定されます。









