新訂地球万国方図
木版の世界図です。地図の本紙には「嘉永六年」という記載が見られますが、袋には「嘉永七年甲寅、改正」とあるので、甲寅の年に当たる嘉永7年(安政元年、1854)の刊行と見られます。
江戸幕府天文方(天文・暦術・地誌等を担当)の高橋景保が文化7年(1810)までに完成させ、幕府に上呈した世界図『新訂万国全図』の系統を引く地図です。なお、地球万国方図には、嘉永5年に刊行されたもの(横浜市立大学所蔵)もあります。作者は中島翠堂(彭)です。
本図と『世界万国全図説』を比べると、本図のほうが南の陸地の面積が圧倒的に狭く、オーストラリアが今の形に似ています。北海道・千島列島・樺太の形も、本図のほうが今の形に近いと言えるかもしれません。これは完成当時、最先端の地理情報を備えていた『新訂万国全図』を踏襲したためでしょう。このように、ペリー来航の頃の日本でも、世界地理に関する知識は進歩していたのです。
一方で、アメリカ大陸の北方に「未審地」という文字があることは注目されます。地形が不明確であるため、このように表記したのでしょう。また日本列島の南東側の海が「太平洋」ではなく、「大日本海」と記される等、今とは異なる地理的知識があったことも分かります。









