京都町中可令触知条々
元和8年(1622)8月20日
江戸幕府の京都所司代板倉重宗(周防守)が、元和8年(1622)8月に出した9箇条の法令で、1巻にまとめられています。元和8年11月の法令(全文7箇条、1巻)や、寛永6年10月の法令(全文5箇条、1巻)とともに、後年「板倉二十一か条」と呼ばれ、江戸幕府の都市基本法として認識されたものです。江戸時代初めの都市京都が抱える様々な問題に、所司代の板倉が対処しようとして、これらの法令が出されたのでしょう。
京都の中の自治組織の一つである下京惣町の年寄へ出されたこの法令では、
① 訴訟の際の出頭者
② 諸商売における座や徒党の結成禁止
③ 質物の取り扱いと質屋の利潤、質入れした者に出す質札(証券)の書式
④ 町中の者の花押・印章について互いに確認すること
⑤ 売買の際には信用のおける文書を取ること
⑥ 火災時の行動の仕方
⑦ 牢人を隠し置くことの禁止
⑧ キリスト教信者が発覚した時の対応
⑨ みだりに新寺を建立しないこと、について定められています。
このうち⑦の法が出てきた背景としては、近世初期の京都の治安が悪かったことが挙げられるでしょう。この時期の江戸幕府は、牢人たちの動きに目を光らせていました。
この文書1巻は、他の2巻とセットで下京の中の町組(各町が集まって形成された組)の一つ、五条荒町拾町組(五条荒神組)で管理されていたらしく、そのことはこれら3巻に貼り継がれた文政4年(1821)の奥書から分かります。









